ネガティブな感情は一番自分自身を傷つける
最近こんな人に会って少し悲しい気分になりました。
その人はぼくのやること全てが気に入らないのか、何かをする度にチクチクと小言のようは文句を言ってきました。性格の悪い姑にいじめられる妻のような感じを想像していただけたらいいかと。
ほんまに何でこういう言い方しかできないんかな?もっと言い方ってあるんじゃないの?
って思いました。この人とはきっと分かりあえないな。でも、同時にこんな風にも思えたんです。
この人は自分も傷つけてるよな。
こういう些細なことに対して重箱の隅をつつくように文句を言う。これは文句を言われる方も傷つきます。実際にぼくは傷つきました。
でも同時に、息をするように文句というネガティブな言葉が口から出てくるってことは頭の中もネガティブのことで満たされているんだろうな。
いつもそんなネガティブなことを思っているからこそ次から次へとそんな言葉が出てくるんです。
言葉っていうのは不思議なもので、発した言葉を脳は正しいと思ってしまうんだそう。つまり文句を常に言わないと気が済まないようは人は、文句の言葉の持つ負のエネルギーを自分に対して浴びせ続けていることになるんです。
これって自傷行為。
残念ながらそういう人に限って、自分はそんな深刻なダメージを自分に与え続けているってことに気づいてないんですよね。
ネガティブに目を向けるんじゃなくポジティブに目を向けると自分に力がみなぎってくる
ぼくは昔はその人のような感じでした。発する言葉はすべてネガティブなもの。
文句は口を開けばダムから放水される水の如く止まることなく溢れだす。
当時のぼくは、ネガティブな言葉が発することが自分にどれほどの悪影響を与えていたか知りもしませんでした。
さっきも書きましたが、ネガティブな言葉は自分自身を確実に傷つけていきます。文句ばかり言い続けた結果、ぼくの人に与えるイメージと言えばこんな感じになってたんです。
- 文句が多い
- 陰気
- 超ネガティブ思考
当然こんな印象の人間に人が集まってくるわけないですよね。友人たちが集まる場でも、ぼくは1人ぽっち。たまに見かねた人が話にきてくれるといった状態だったんです。
その時にはじめて、文句ばかり言うことがどれほど自分に悪影響があるのか思い知りました。
このままじゃダメだ。
まず最初に始めたのが文句をやめること。文句と共に現れるネガティブな感情を封じ込めるんです。
そしてポジティブなことに目を向ける。
ネガティブな言葉が自分自身を傷つけるように、ポジティブな言葉は自分に力を与えてくれる。
文句を言いたい場面があるかも知れない。言わなきゃ気がすまない。そんな状況だってあります。それはよくわかる。
でも文句をただ言うっていうのは純粋なネガティブ行為。これでは自分も傷つけてします。
発想を変えるんです。
文句があるってことは改善の余地があるってことじゃないですか?それなら改善の提案をしたらいい。
文句を言うときの言葉の鋭さ、高圧的で攻撃的な態度の代わりに、相手への思いやりを込めた提案をしたらいい。
それは相手を傷つけないだけでなく、自分も傷つけないこと。
目を向けるべきものはネガティブではなくてポジティブ。もっと前向きに生きることが大切です。
あなたは文句ばかり言う人と一緒にいて楽しい?
ぼくは別に万人に好かれようなんて思ってないですが、一緒にいて楽しいと思ってもらえる人間にはなりたいと思っています。
もしぼくが些細なことにも文句ばっかり言っていたら、あなたはぼくと一緒にいたいと思いますか?
きっと答えはNoでしょ?
ほとんどの人は同じです。そもそも人間たるもの、他の人との関わり合いなくしては生きていけません。多くの価値観を持つ人と接して世界を広げることが大切なんです。自分の中にある人生という宇宙を広げていかないとダメなんです。
そういう大事な使命がそれぞれの人生にあるのに、文句を言って人を遠ざける。
なにやってんだ!
ですよ。文句をぶつぶつ言うのは自分の人生を無駄にするという行為に他ならない。人生を真剣に生きようとしていない証拠です。
ポジティブに生きることこそが生きるということなんだ!
まとめ
些細なことにもいちいち文句を言うというの、頭の中がネガティブで満ち溢れているということです。
このことは自分で気づくことは難しい。だからこそ積極的にポジティブな言葉や考え方を使うようにすることが大事。ポジティブな言葉や思考は脳に働きかけてネガティブな思考を抑えてくれます。
文句ばかり言う人を誰が親しみを持って接してくれるでしょう?
多くの経験をもたらしてくれる多様な人との接触を激減させる”文句”は、あなたの人生を破綻させます。