モリレイのプロフィール

モリレイのプロフィール

こんにちは、このサイトを運営しているたまねぎをこよなく愛するこんにちは、レイです。

mori

2013年6月から始めたこのサイトを管理しているモリレイについて紹介したいと思います。

このブログについて

まずはこのブログの紹介から。

ブログを開設した当時はカンボジアの首都・プノンペンに住んでいたので、主にカンボジアの情報を発信してきました。

今はカンボジアから日本に帰国して滋賀県に住んでます。

このブログもカンボジア以外にも、料理や食べものなどを中心に日常をつづる個人ブログとして運営しています。

ぼくがこのブログで伝えたいことはこんなことです。

  • 自分自身と向き合い人生を悔いなく生きるということ
  • 自炊のすばらしさ!
  • おいしい食べ物
  • カンボジアのこと
  • その他いろいろ

せっかくこのブログにたどり着いてくれたのだから、少しでも役に立つ情報を提供したいという思いで日々ブログの更新に励んでいます。

何してる人?

何をしている人?

っていわれると自分でもよくわかりませんw

  • Webの開発
  • Webライター(OMIYA!ノマド的節約術で記事を書かせてもらってます)
  • 料理を作る人
  • 自炊愛好家

ライフワークはこんな感じです。

プライベートと仕事の区別はほとんどなくて、ずっと何かをしています。

興味のあることはなんでもやらないと気が済まない性格。
だから将来には何をやってるかぼくにも分かりません。

今を思いきり満喫して生きる。これがぼくの生き方です。

趣味

興味が色々と出てくるので趣味もたくさんあります。

ピアノ

小さい頃からピアノをやっていたんですが全然下手くそです。

単純な練習が大嫌い。
だからバイエルの途中で一度止めてしまいました。

バイエルとは、ピアノを始めた人が最初に練習する入門書のようなものです。

それを止めるなんてどうかしてる。
きっとこんな風に思われたでしょうね。

でも、それから数年後運命の出会いをすることに。

あるとき「モーツァルトの『トルコ行進曲』」がテレビから聞こえてきたのです。

猛烈に弾きたくなって1日6時間練習しまくった結果、1ヶ月後に弾けるようになりました。

mori
好きな曲を弾くのって楽しいな〜

ピアノの練習が嫌いで一度やめたのですが、ここでピアノが楽しいってことに初めて気づいたんです。

そこからは自分の好きな曲だけを、自分の実力を考えないまま弾くスタイルを貫いています。

ちゃんとした練習は20年近くのブランクがあるので、以前弾けていた曲もすっかり弾けなくなってしまいました。

ちょっともったいないことをしたなと思いますが、また練習すればいいやと割り切ることに。
練習してまた弾けるようになりたいですね。

今の目標は「ショパンの『革命』」をもう一度弾けるようになることです。
あの激しい曲が好きなんですよ〜

好きなピアニストはフランスのシプリアン・カツァリスです。
あの楽しそうに演奏する姿は見ているこっちまで笑顔にしてくれます。

2018年9月からまたピアノを習い始めました。

死ぬまでに弾きたいと思っている曲を弾けるようになるのが最終目標です。

アイスホッケー

友人に誘われるまま、アイススケートも全く滑れないのにアイスホッケーを始めてしまいました。

滑れないのは悔しいので、毎週末には朝から晩までスケートを練習し続けてなんとか滑れるようになりました。ポジションはGK。

カンボジアに住んでいた数年間とその前後数年間はブランクがありましたが、2017年には本格的に復帰しました。

アイスホッケーめっちゃ楽しいです!

スキューバダイビング

昔から興味があったんですがなかなか始められなかった趣味。

住んでいるのが関西なので、潜るのは和歌山が多かったですね。

あとはカンボジアでも結構潜りました。カンボジアってちゃんと海があるんですよ。

カンボジアのビーチリゾート

これまでに潜った海はこちら。

  • 和歌山(白浜、周参見、串本)
  • 伊豆(伊豆海洋公園、神子元)
  • 高知(柏島)
  • 沖縄(沖縄本島、慶良間諸島)
  • フィリピン(セブ)
  • サイパン
  • カンボジア
  • タイ(シミラン諸島)

当時は頑張ったので、PADIのダイブマスターまでとりました。

今はお休み中。いつかアマゾン河で潜りたい。

写真

一眼レフカメラを買ってからのめり込みました。

お土産撮影

みたらしおたべ

2017〜2018年前半にかけてOMIYA!のライターをやっていたので、お土産の写真撮影に大活躍です。

今でも大好きな生八ッ橋の撮影に大活躍!

料理の撮影

カレードリア

料理の写真を撮るのも好き。
もっとおいしそうに見えるようないい写真を撮れるようになりたいな。

自炊が好きなので、料理を作りながら使えるカメラが欲しい!

防水で過酷な環境でも使うことができるオリンパスのToughが良いですね〜

旅行やお出かけ先で撮影

馬籠宿

旅行やちょっとしたお出かけの時にも必ずカメラを持っていきます。

この写真は、中山道を2泊3日で歩いた時に撮りました。こういう歩いていく旅行も大好きですね。

心ときめく瞬間を写真におさめるのが大好きです。

水中写真

昔はスキューバダイビングの時、海の中にまで持っていって魚などを撮影してました。

これからは天体写真がやりたい

これからやってみたいのは天体写真。
望遠鏡を使って惑星や星の写真を撮りたいですね。

いろいろと器材が必要なのですぐにはできませんが、いずれやりたいと思ってます。

料理

きれいに盛りつけられた、洒落た料理とかにはあんまり興味はありません。

ぼくが興味を引かれるのは毎日食べる家庭料理のようなもの。

簡単に手に入る材料を使っていろんなものを作るのが好きです。自炊最高!

自炊に対するぼくの思いはこちらに書いてます。

料理の中でも特にオニオンスライスを作るのが好きで、タマネギがきれいに薄く切れた時の快感がたまりません。

心を落ち着けて無心で切るところにオニオンスライスの醍醐味があるんですよ。

たまねぎ以外にもネギを切るのも好き。特に太めの青ネギが良いですね!

外国の料理にも興味があって、いろんな国で食べられている家庭料理をマスターしたいですね。その国の料理を作って旅行した気分になるのが最近のマイブーム。

お酒を飲むこと

昔から飲むことが大好きです。全然酒は強くないんですが調子に乗って飲むタイプ。

飲むといっぱい喋ります。

人からはきっと面倒くさがられてるかと。

外国に行くこと

外の世界に出て、色んな人に会い、その文化を体感するのが好き。

有名な観光地というよりも、その国の人たちがどんな生活をしているのかっていうことに興味があるので街歩きをすることが多いです。

基本的に友人が住んでいる場所に行くことが多いですね。

これまでに行った場所

これから行きたい場所

  • 中国(上海)
  • キルギス
  • ラオス
  • カナダ
  • アメリカ

金属加工

1年くらい趣味でやってたのが金属加工。

以前仕事でやった溶接が楽しすぎので、自分でも金属でいろんなものを作りたくなってはじめました。

今はやりたいことが多くなりすぎて手が回らなくなってきたので、やってません。

でも、今でも楽しい思い出です。

好きな食べ物

和菓子やケーキなどの甘い物が大好物。肉より魚派です。

特に生八ッ橋は大好きでこれまで90種類以上食べてきました。

  • 生八ツ橋
  • 桜餅(京都の渡月橋、青木松風庵の桜餅が特に好き)
  • チーズケーキ
  • カレー(辛すぎるのはNG)
  • ヒラメ(特に縁側が好物)、ヒラマサ、サーモン
  • アジの南蛮漬け
  • タマネギ
  • ゴーヤ

嫌いな食べ物

ネバネバ系はほぼ全滅です。あとは臭い食べ物も苦手。

  • オクラ
  • 納豆
  • 山芋
  • ブルーチーズ
  • ふな寿司(滋賀名物ですが無理です)

ぼくの経歴を紹介します

出生〜幼少時代(京都)

1978年に京都市・西京区に生まれました。

京都の有名な観光地・嵐山の近くだったんですが、3歳の時に同じ京都市の南区に引っ越したため、その時の記憶はほとんどありません。

数少ない記憶は、近所のスーパー(西友?)で飲むスイカジュースが好きだったこと。

それと、アニメ・トムとジェリーをよく見ていたことですね。

引っ越した先の家はテラスハウスという長屋みたいな場所。同じ長屋に住んでいる友達と外に出て遊ぶのが大好きでした。

生き物がとても好きで、田んぼに入ってはカブトエビを捕まえたり、カエルをいっぱい捕まえてきては家の庭で飼ってましたね。

コオロギを枕元に置いて寝るのが好きでした。もちろん家族には嫌がられましたけど。

幼稚園の時、隣の家に住んでいる女の子がエレクトーンを始めた影響でぼくもエレクトーンを習い始めました。

でも、家にはピアノしかなかったのでピアノの練習になってしまいましたが。

この時始めたピアノは今でもぼくの趣味です。特に好きな作曲家はショパンとモーツァルト。

そういえばこんないたずらのようなこと(本人はいたって真面目でしたが)もしました。

音楽教室に通う途中で、動物好きのぼくはネズミを捕まえカバンに入れて教室に行きました。

レッスンの途中、他の人(たぶん誰かのお母さん)がぼくのカバンから出てくるネズミをみて大慌て。

そのままどぶに捨ててしまったんです。

後からそのことを知ったぼくは結構ショックで落ち込みました。

今から考えると信じられないです。

小学生後半(滋賀)

家が狭くなったので住み慣れた京都を出て滋賀県に引っ越し。

滋賀の第一印象はめっちゃ田舎だってこと。ぼくの住んでいるところは滋賀の中でも結構な田舎なんです。

でも、田舎だって良いところもあります。

特に印象に残っているのは近所の川がとてもきれいだってこと。

京都の川は水が濁っていて汚かったんですけど、滋賀の川はめちゃくちゃきれい。透明な水が流れていたことにめちゃくちゃ感動しました。

透明な水に感動!

透明な川の水

こんな自然豊かの場所に引っ越してきたぼく。これまでの生き物好きに加えて植物好きにもなりました。

近所には山も畑も広がっているので、学校が終わると植物や動物を求めて外に飛び出していく毎日。

手当たり次第に雑草を引っこ抜いてきては庭に植えまくりました。おかげで庭は雑草だらけに。

正月には雑草をおかゆに入れて食べたりもしました。はい、七草がゆのつもりです。

こんな感じでスイバも吸ってました。

スイバを吸う

一番好きな雑草はオオイヌノフグリですね。あの小さな青い花はピカイチです。

オオイヌノフグリ

春に咲く雑草の花を見ては興奮してたなぁ〜

次々といろんな事に興味が出てくるぼくはさらに楽しいことを発見してしまうのです。

それは天体観測。
親戚のおじさんから望遠鏡をもらったことがきっかけ。

それからというもの、週末の金曜と土曜日は徹夜の日になってしまいました。

ずっと外に出て星を観測し続けました。初めて望遠鏡でみた月やプレアデス星団は本当に感動したなぁ。

星の図鑑もボロボロになるまで読み込んだりと、学校の勉強そっちのけで星にのめり込みました。

中学生時代(滋賀)

科学に興味を持ちだしたらとまらなくなってきました。

学校でやる科学実験だけに飽き足らず、家に帰ってからも部屋に閉じこもって実験を繰り返すように。

中学1年生の時には元素記号を全部(当時は103個)覚えることに必死になりましたね。今じゃほとんど忘れてますが。

休みの日には図書館に通って一日中科学の本を読みあさりました。

傍からみてるとキチガイ中学生だったと思いますよ。

興味を持ったことはとことんやらないと気が済まない性格だったんです。逆にいうと興味のないことには全然無頓着。

中学時代に熱中した実験器具たち

科学バカだったのでこんな経験も。

中学3年生の時には、滋賀県で行われた学生の科学発表会に出てみないかと先生に言われて発表も行いました。

結果は3位。個人の発表としては一番好成績だったようです。

ちなみにこの時の発表内容は当時ハマっていたバイオテクノロジー関係です。

ひたすら寒天培地ばっかり作ってました。

こんな感じでぼくの中学時代は科学一色だったわけです。

中学時代の研究発表会の冊子

高校時代(滋賀)

科学に夢中になっていた中学時代に比べて高校時代はぼくの人生では暗黒時代

すべてが嫌になって正直何をしていたのか記憶も定かでありません。

すべてにおいてやる気がなくなって、人との付き合いも避けるようになりました。

ぼくの居場所は保健室。

多くの人にとっては高校時代が一番楽しい時代だと思うんですが、ぼくにとっては人生の中で空白、いや、暗黒の時代なんです。

人格形成のために働く

高校の3年間ですっかりなにもかもやる気をなくして、人との付き合いも全然しなくなってしまったぼく。

このままじゃまずいと思うようになりました。

超内向的な性格で人ともまともに話せないんです。

ここは荒療法しかないと思ったんですね。ぼくが一番苦手なイベント業のアルバイトをはじめることに。

5、6年くらいやったと思います。

この荒療治が功を奏して、人とも普通に接することができるように。

この時に形成された人格がぼくの今の基礎になっていると思ってます。この仕事は本当にやって良かったな。

イベントの仕事は本当にいろんなことをやる仕事だったんですが、一番楽しかったのは着ぐるみでした。

今でもまたやりたいなって思っています。

お金のために工場で働く

イベントのアルバイトは楽しかったんですが、仕事も不定期で安定した収入にはなりませんでした。

20代も半ば近くになってきていたので、もうちょっと安定した収入が欲しいと思うようになってきました。

そこで始めたのが工場での仕事。

毎日同じような作業の繰り返しでちょっと退屈ではありましたが、望んでいた安定収入を得られるようになりました。

昔からものを作るのは好きだったんで、物を組み立てたりするのは結構面白かったですね。

特に好きになったのは溶接。初めての経験だったんですがはまりました。

夢を追ってIT業界へ

ちょうど25歳になった時に、以前から憧れだったIT業界に飛び込みました。

親戚の「はじめるなら25歳までに」いう言葉に背中を押されたわけです。

IT業界に憧れを持つようになった理由。

それは友人が「自分のホームページを作った」と言って、ぼくに見せてくれたのがきっかけです。

はじめてみるホームページ。どうやって作っているのかさっぱりさっぱり解りません。

こんなのができるようになったら良いなっていう漠然とした憧れもあったんだと思います。

そして、決定的な出来事が起きたんです。

それは、イベント会社で働いていたときに関わったIT関連のイベント「インパク(インターネット博覧会)」。

まだインターネットというものが一般的になっていない時代、国を挙げてインターネットを普及させようという試みがなされていました。

インターネットを使っていろんな地域の情報を閲覧したり、インパク上で開催されているイベントに参加したりするようなものだったと記憶しています。

そこに来ていたエンジニアの人。
彼こそがぼくの人生を変えた一人です。

彼はこんな魔法なようなことをやっていたんです。

  • ぼくの目の前にあるコンピューターを遠隔操作して動かす
  • 西表島の森の音をインターネットでリアルに聞く事ができる
  • インターネットでゲームができる
mori
インターネットって何?
mori
ブラウザって何?

こんな状態のぼくにとって、彼を含むエンジニア一団は眩しすぎました。

mori
彼らのようになりたい!

その思いがぼくをIT業界へと突き動かしたんです。

海外が呼んでいる!

念願叶ってIT業界に就職したものの何か違う。

毎日スーツに身を包み、同じ電車の同じ場所に立って電車に揺られる。

見ず知らずの人を知り合いだと錯覚するような毎日。

会社では何やってるのかわからないような仕事。

ぼくはずっとJavaでプログラミングをしたり、システムの設計をしたりしていました。

でもすごく空しい思いがつきまとってたんですよ。

お客さんの顔が見えない

これが一番の原因でした。

ぼくら末端のエンジニアは、システムを実際に使うお客さん(クライアント)に会うことはありません。

簡単に言うと、現場の人間関係ってこんな感じなんです。

ぼくら末端のエンジニア

プロジェクトリーダー(出向先の社員)

お客さん

お客さんと話をするのは、プロジェクトリーダーやプロジェクトマネージャといった人。

さらに、このお客さんだって実際にシステムを使う人とは限らないんです。

実際にシステムを使うのは、どこの誰だか分からないひと。

作ったものが喜ばれているのかどうなのかすらわからない。

やり甲斐が感じられなくなくなってきたんです。

そんな時、ぼくの目の前に一枚の電車が現れました。これがぼくの心を激しく突き動かしてしまったんです。

その広告とはJICA(国際協力機構)が行っているボランティア事業のひとつ「青年海外協力隊」の募集広告でした。

これまで海外で生活してみたいっていう漠然とした思いは持っていたのですが、それをどうやって実現したら良いのかなんてさっぱりわかりませんでした。

「英語もろくに話せないし」と諦めていたんです。

でも、この広告を見た時にぼくの気持ちは抑えられなくなり、1週間後には必要書類を用意してJICAに提出しました。

まったくこの先の事なんて考えてませんでしたね。
なるようになるっていう感じでただ突撃していました。

書類審査、健康診断、面接などを経て無事に2次試験までクリア。

後日選考結果が自宅に送られてきました。

封筒から赤い紙を引き出すと「カンボジア」の文字が。

この時はじめて、自分の派遣される国がカンボジアだということを知ります。

自分でも想定していなかったカンボジアという国。

「内戦があって治安が悪い」とか「アンコールワット」くらいしかイメージできなかったぼくは悩みました。

でもせっかく試験をパスしてつかんだチャンス。せっかくの縁なので思い切って行くことに。

様々な研修を終えて2013年1月にカンボジアに発ったのでした。

プノンペンの学校で働く

ぼくが赴任したのはカンボジアの首都・プノンペンの小学校教員養成校という学校。ここで2年間ICTの教育に携わりました。

日本とはまったく違う文化のこの国での生活は驚きの連続でしたね。

挙げたらきりがありませんが特に印象に残っている出来事を挙げてみます。

  • 授業に先生が来なくてぼくが授業をする。言葉の問題もあり発音の関係で卑猥な言葉を連呼して生徒に笑われる。
  • 授業の自習時間。先生と一緒に軽く1時間ほどの朝食へ。(これが当たり前だとしって衝撃を受ける)
  • 隣の学校の生徒に好意を持たれて、その結果ノイローゼになる。
  • 大家さんに連日ビールを6缶飲まさせられる。飲まないと部屋に帰れない。
  • 部屋の見えないところでネズミが死んでいて、家に帰ると部屋中ハエだらけ。恐らく100匹以上…
  • どこからともなくアリがやって来て食べ物を食い荒らされる。
  • スコールで街中洪水。
  • 校舎が老朽化で突然崩壊。

はじめての海外生活ということもあってぼくにとってはかけがえのない経験をさせてもらえました。

カンボジア時代の職場

カンボジア時代の職場。コンピュータ室。ヤモリがたくさんいました。

コンピューター室

授業風景の一コマ

カンボジアの学校での授業風景

大家さんご夫妻。ぼくの好きな料理をいっぱいご馳走になりました。

大家さんご夫妻

日本に帰国したが馴染めず再びカンボジアへ

2年間の活動を終えて再び日本の会社で働きはじめました。

でも、どうしても社会に馴染むことができなくて4ヶ月ほどで辞めます。そして再びカンボジアで働くことに。

カンボジアに戻ったぼくは以前住んでいた街・プノンペンで働き始めました。でも1年くらいで病気になり帰国。

療養生活からの脱却を目指して

日本に帰国してから半年ほどはずっと寝て過ごしました。

精神が完全崩壊して狂ってしまっていたんです。いろんな人にも迷惑をかけまくってしまいました。

でも、いろいろな人に助けてもらいながら少しずつ落ち着きを取り戻し、前向きに生きられるように。

本当に感謝しかないです。

少しずつ起きている時間が長くなり、外で働くこともできるように。

心の中は過去に迷惑をかけた人たちへの申し訳ない気持ちと、自分の情けなさを感じながら心療内科に通い、カウンセリングも継続的に受ける日々が続きました。

ほぼ全快!OMIYA!に出会い生きる気力を取り戻す

2017年大きな出来事がおこりました。

OMIYA!との出会いです。

OMIYA!は日本に星のあるほどあるお土産をデータベース化して紹介するという素敵なサービス。

ここにお土産ライターとして参加させてもらうことになったんです。

OMIYA!との出会いは生活を激変させました。

生きる気力がみなぎっているのが自分でも分かるほど急激に回復しました。
OMIYA!に救われたといっても過言ではないでしょう。

死ぬために生きる!を実践

最近ぼくが感じるようになってきたこと。それは「死ぬために生きる」ということ。

死ぬ瞬間に「やりきった!」という思いを持ち死にたい。

毎日毎日生まれ変わる。

そんな毎日を死ぬまで続けていきます!

こんなぼくに興味がある方は

ここまで長い生い立ちを読んでいただきありがとうございました。

ぼくに興味を持っていただけたなら、以下のお問い合わせからご連絡をお願いします。

「ちょっと話したい」や「お仕事」などのご連絡もお待ちしています。

これまでの経験や実績はこんな感じです。