自分が倒れても誰かがいるという絶大な安心感
ぼくが生活しているアパートには大家さんをはじめ、大家さんの親戚が住んでいます。
そして住居人のカンボジア人、日本人、その他の国の人たちが同じ敷地内で生活をしているんです。
個々の部屋にはもちろん鍵があってプライベート空間、セキュリティーは確保されているわけですが、入り口は一箇所のみ。ちょっと良いサービスアパートメントには当たり前のようにいる警備員もいるわけではありません、当然のことですがオートロックってものもついてないんですよ。
そんな環境なんですが、とても安心感があるんです。
というのは、大家さんをはじめ、住居人同士も毎日顔を合わるという事なんですね。これが安心感に繋がっている。
もし自分が病気で倒れてもきっと誰かが気づいてくれる、何か困ったことがあったら助けてくれるという安心感は何ものにも換えられないものです。
実際にぼくは体調が悪くて部屋の中でぶっ倒れた時にも、大家さんが気づいてくれたおかげで病院に行くこともできました。そしてごはんも作ってくれて本当にありがたかったんですよ。
人との繋がりを大事にするカンボジア人
カンボジアに来て感じたのは、人との繋がりの大切さです。アパートの件もそうですし、カンボジア人は家族、友人をとても大切にする人たちです。
日本では核家族化が進み、近所づきあいもなくなってきていると聞きます。人間関係はますます淡泊になっていくのでしょう。
昔の日本は隣に誰が住んでいたか知ってて当然、醤油がなくなったら隣に借りに行くということもごく普通に行われていました。少なくとも自分の小さい時にはそうでした。
最近では色々と便利なものが出てきて、そういったことを知る必要もやる必要もなくなっているのでしょう。近所の人の事を知らなくても生活に困らないし、食料がなくなったらすぐ近所のコンビニに行けば済む話なんですよね。
そもそも人間っていうものは誰かとコミュニケーションを取ることが必須な生き物です。このコミュニケーション能力を養うのが、アパートなどの近所づきあいや昔の大家族のようなもの。
日本では古くなってしまった習慣がカンボジアにはまだあります。
名前は忘れましたが、ある人がこういう話をされているのを聞きました。
昔は両親が忙しい時には祖父母が子供の面倒を見て、両親が年老いたら子供が面倒を見ていました。今は核家族化を進んで、両親は仕事のために子供を保育園に預け、両親が年老いたら老人ホームへ預ける。その費用が現在の社会にとって大きな負担になっている。もう一度日本の大家族制度を見直すべきではないだろうか。
日本を離れてカンボジアに来たからこそ気づいた人との繋がりの大切さでした。