銀行にとって印鑑とは何なのか?送金通知書に押す印鑑はなんでも良いってどういうこと?

なんでも良いならサインでも良いのではないかという疑問

先日税金の一部が還付されるとの知らせが届きました。お金の受け取り方法は、送られてきた送金通知書を銀行に持って行きお金を受け取るというもの。

ざっと書かれてある説明を読んで、送金通知書と身分証明書を持って銀行に行ったところちょっとした問題が発生。

それは銀行でお金を受け取ったことを証明するために領収証に印鑑を押さないといけないことになっていたんですが、印鑑を家に忘れてきたことを窓口でお金を受け取る時に銀行の方から指摘されたんです。

説明をちゃんと読んでいなかったぼくも悪いんですが、一応銀行の方にサインでも良いかどうかを聞いたところ印鑑じゃないとダメだそう。

マジか。

まあここまではぼくの不注意だということで良いんです。問題はその後。銀行の方はこうおっしゃったんですよ。

“印鑑は何でも良いんで、持ってませんか?”

え?何でもいいの?

もちろんぼくの姓の印鑑じゃないとダメだとは思うんですけど、どんな印鑑でも良いって。じゃあサインでもいいやんかって思っちゃったんですよ。

今の時代、受取にサインを使うっていうのは結構一般的だと思うんだけどなぁ。直筆のサインより、100均でも買える印鑑の方が上ってことがなんとも納得いかんというかねぇ。なんとも腑に落ちないんですよ。印鑑が絶対なのか!

まあここで揉める気も全然なかったので、一旦家に帰って印鑑を持ってきて無事にお金は受け取れました。

慣例を理由にするのは思考停止なのだ

ぼくがここで言いたいのは、印鑑なんてやめてしまえとかそういうことではありません。

印鑑しかダメだという理由の根拠を問いたいのです。ちゃんとした理由があるのだったらぼくは何も言いません。しかし、もし慣例を理由にしているのだったとしたらもう一度よく考えてもらいたいということ。

今までこうやってきたからという理由は完全な思考停止なんです。

時代は流れていて、その時の習慣も変わってくるのが当然。だから今の習慣にあったやり方があるのであれば、それに合わせていくっていうことは重要なんじゃないですか?

今までこうしてきたから、これからもずっとこのままで良いというのでは何も良くならないんです。より良くできるものは改善していく。こういう姿勢が大切なんです。

ダーウィンの言葉を紹介しておきます。

“唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。”

まあこれは今回の銀行に限った話じゃなくて、すべてのことに言えることですが。

おわり!