大学での学びは人生に役立てるためのもの
ぼくの友人が大学院の修士課程を終えるので写真を撮ってほしいという依頼があり、突然ですがとある大学の学位授与式にお邪魔することになりました。
成り行きで今から大学院の卒業式
— REI MORI (@mori_rei) 2016年3月25日
もちろん事前にそんな話は全く聞いてなかったので服装も超ラフ。パーカー、ジーンズ、スニーカーという式典にはまったく相応しくない格好です。それでも快く受け入れてくださり、式典を見学して友人の晴れ姿を写真に納めることができました。
ぼくは無事に誰からも咎められることなく友人の写真撮影が終われば良いと思っていました。しかし偶然にも、式典で挨拶をされた先生の話を聞いて心の底からこみ上げてくるほど感情を揺さぶられてしまったんです。
今回はその先生のお話からぼくが感じ取ったことと、ぼくの決意をここに表明したいと思ってこの記事を書きました。
先生が壇上でお話されたこと。その中でもぼくの心に突き刺さった言葉がこれです。
“ここでの学びは大学だけのものじゃない。あなたの人生に役立ててください。”
はっとしました。
そもそも大学で学問を学ぶということはどういうことなのかと問われているんです。今の時代多くの人が大学に通い学士や修士などの学位を持っています。大学を卒業するっていうことは”学歴”を手に入れるということでもあるわけです。
大学で学ぶ理由がこの”学歴”を手に入れるため。そういう人も多いと思います。なんとか単位を取って無事に卒業。そして”学士”や”修士”などの学歴を手に入れたら目標達成。
でも本来はそうではないはず。学んだことを自分の中でしっかりと消化して自分自身のものとする。これが学ぶ本当の目的なんじゃないかって思うんです。
実際に友人がこう言ってました。
“2年間は常に追い立てられるようにやってきた。次の仕事に就く前にすこしだけ時間をとって学んだことをしっかりと見つめ直したい。”
ほとんどの大学で学ぶ人たちはこういう感じなんでしょう。毎日新しいことを詰め込んで詰め込んで必死になって勉強する。でもそれらを振り返る時間って実はない。
学んだことを自分の中で消化できていない人が多いということを先生は分かっていて、このような言葉を話されたような気がするんです。
大学で学んだことは卒業するためだけのものでもない。その知識を自分のものにして自分自身実践して自分の人生に役立てる。これこそが学ぶということなんじゃないか。
ぼくはそう先生がおっしゃているような気がしてなりませんでした。
学ばなければ今以上のものを生み出すことはできない
話を自分自身に当てはめてみます。
自分の成果を出すためには、自分から発信していかないといけないというのは事実。たとえばこのブログだってそう。世間の反応なんか自分が書かなきゃ絶対に分からない。“発信=書く”が絶対に必要です。
でも結果を求める気持ちが強すぎてアウトプットばかりしようとしたんです。とにかく書くことばかりに集中しようとしてしまいました。今思えばインプットをおろそかにしてきたんだなと自分自身感じるんです。
インプットがなければ人間は成長しませんよね?じゃあ成長しない自分が発信するものって同じなんじゃないって思うわけです。成長のない人間なんてつまらない。そんな人間の発言を聞きたい人がいるのかっていうといないでしょ?
やっぱり常に学ぶ=インプットが必要なんです。これは別に大学に入って勉強するっていうことだけじゃない。どんな方法でも学べます。
そうやって学ぶことによって自分自身を成長させ、変化させていくことでもっと人に求められるようなことを発信できるようになるんじゃないかな。
学ぶことをしない人は変化もできません。ぼくはそういう人間にはなりたくない。
ぼくは人の役に立ちたい。だから一生学び続けます
ぼくは今猛烈に苦しい。なぜならば自分があまりにも無知すぎてバカだから。コンプレックスの塊のような人間です。
もっと人の役に立てる人間になりたい。
日増しにその気持ちが強くなっていきます。でも無知でバカだからって諦めることなんてないんです。無知でもバカでも学ぶことができる。試すことができる。
ぼくは決めたんです。一生死ぬまで学び続けて、学んだことはすぐに実践していこうって。トライ&エラーの人生を歩こう。
学びは自分や人の人生に生かすためにある。
初めて会った名前も知らない先生だけど
ありがとうございます!