カンボジアに学校を作るのはいいけど…
なんか日本人に限ったことじゃないんですけどカンボジアっていうと学校建設をイメージする人が多いみたいですね。カンボジアを実際に歩いて見ると日本人によって建てられたと思われる学校がいくつも見ることができます。
もちろん建てる人はカンボジアの教育を良くしたいっていう思いをもって学校を建設されているんだと思います。もちろんその気持ちは本当に素晴らしく、ぼくになんかはとうてい真似できません。でもあえて言わせてもらいます。学校を建てるだけが目的なら建てないでください。
学校は建てて終わりじゃないんです。学校は建てたあとにしっかりと運営をしていって初めて成功なんです。これまでに建てられた学校でも運営が全然うまくいかなくて廃墟になってしまっている、そんな学校って多いんですよ。
ぼくはカンボジアの学校で2年間ボランティアとして活動をした経験があります。そこで感じたことは働く先生に十分な報酬を与えることが学校存続、教育の質向上には不可欠だということ。
安月給の先生は副業に精を出す
ぼくが働いていた学校は結構しっかりとした学校だったんですけど、先生が副業のために学校に来なかったりということが時々あったんですよ。授業より会社の仕事が優先。カンボジアの現状ってこんなもんなんです。なんで先生が授業より会社を優先するのか?それは会社でもらう給料の方が先生をやってもらう給料より遙かに多いから。先生の給料なんて1ヶ月60ドルとかそんなもんなんですよ。先生をやっていただけでは生活できないのは明らかじゃないですか。だからみんな副業をするんです。
先生が来なかったら授業はなくなります。そうすると学生はさっさと教室を後にして思い思いの時間を過ごすようになります。勉強熱心な生徒は勉強を続け、勉強嫌いな生徒は食堂でご飯を食べたり。これで質の良い教育ができるわけないじゃないですか。
給料が不払いになったら
まだぼくの行っていた学校は給料が支払われていたので良かったんですけど、酷い学校は何ヶ月も給料が支払われないってこともあるんです。特に地方の学校がそういう状況に陥っているようです。実際に地方の学校に赴任した先生は半年もの間給料が支払われないって嘆いていました。
そんな状態が続いたら先生が学校からいなくなってしまうのなんて火を見るよりも明らか。そして生徒も来なくなって廃墟になってしまうんですよ。もう一度言いますよ。学校を建てるならば先生に給料を払い続けられる仕組みをしっかりと構築してからでないとダメです。作っても廃墟になるような学校建設なんかやるべきではないんです。
支給した楽器は売却
これもまた残念な現実です。日本で使わなくなったリコーダーやハーモニカをカンボジアに送るっていう活動がありますよね。寄付する人って寄付したものが実際に使われていると思っているでしょ?でもね、その一部は売却されてお金に換えられているんです。お金のない人に楽器を渡しても生活費のために売却される。これも現実です。
実際にぼくがプノンペンにある楽器店に行った時、日本人の名前が書かれた鍵盤ハーモニカが店頭に並んでいました。これを見た時には悲しい気持ちになりましたね。
こういう楽器の扱い方もしっかりと管理しないといけません。学校建設、支援はしっかりとその運用方法を考えてやってください。無計画な支援ははっきり言って無駄です。