“闘え”しか言わない人は相手のことをもっと深く考えるべき

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あなたは相手のことを本当によく見てるんですか?

“闘えよ!”

アドバイスのつもりでこういう事を言う人がいます。自分はなにも悪くないのにこんな酷い目にあったのだから裁判を起こしたら絶対に勝てる。だから裁判で闘わないといけない。それなのになぜ闘わないのか?なぜ泣き寝入りするのか?

こういう感覚の人は考え方が単純すぎます。全然相手のことが分かっていませんね。たしかに裁判に勝ってすべてが終わるんだったら裁判で闘うでしょう。でもそうじゃないってことを当事者はよく分かっているんです。だから闘いたいけど闘えない。そこを理解しようとする気持ちが”闘え”というだけの人にはない。

闘いたいのに闘えない理由があるんですよ

裁判で勝ったら終わりですか?その後は今まで通り平和な日々が送れると思っていますか?そんなことはないですよ。

闘いたいけど闘えない理由があるんです。それは復讐を恐れるってこと。裁判で勝てたとしてもその後の復讐に怯えながら過ごさないといけない日々がずっと続く。この恐怖をずっと味わい続けることと裁判で勝つことを天秤にかけた結果、泣き寝入りすることを選んだんです。心の中には暴力に屈したというはらわたが煮えくり返りそうな思いを抱いているんです。相手には罰を与えてほしいという強い強い思いがあるけどそれができないという悔しさがあるって知るべきじゃないですか?

好き好んで闘わないんじゃない。

なぜ闘わないっていう一言が相手を傷つける

そういう思いを抱いている人に”なぜ闘わないんだ?”っていう問い詰めるのは残酷すぎます。さらにたたみかけるようにこんな発言も。

“闘わないのは自分自身にも落ち度があったからじゃないのか?”

こんな事を言われた日には深い失望に打ちのめされるでしょう。本当にこの言葉は人を深く傷つけるってことを理解してほしい。そしてこんな事を言った人とはこれから心を通わせることができなくなるでしょう。もうわかり合えないなって思ってしまうんです。

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