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断ってはいけないと思うことは思考停止と同じなのだ

人間として生きたければ断れ

最近思ったことなんですけど、断れない人間っていうのは人間らしく生きているという意味においては人間ではないんですよね。人間らしく生きるって言うのは自分の欲求や欲望を表現できるってことです。

でも断れないっていう人は自分のやりたいことを表現するっていう基本的かつ一番大切なことすら放棄してしまっているんですよ。これは全く死んでいると同じ。

人間は断ることで生きていることが実感できる。生きるためには断れ!

断れないから思考停止に

自分の場合には気の弱さから断ることが全然できなかったんです。そうするとこんな感じで心が変化していったんですね。

断れない → 断ってはいけない → 自分の意見を持ってはいけない → 自分で考えない

断れないというところから始まり、断ることに罪悪感を感じるようになりました。この時点で自分のやりたいと思うことがあってもその思いを押し殺して相手の言うことを聞くようになるんです。

そしてさらに自分の意見を持つということ自体が悪なんだと思うようになったんですね。完全に自分というものは劣った生き物だから自分の意見を持って生きるということ自体がいけないことだと。相手の言っていることがすべて正しいと言う風になっていったんです。

そして最終的には相手の言うことがすべて正しいのだから自分が何も考えなくても良い。自分の考えたことなんて間違っているに違いないから自分で考えることは悪いことだし止めてしまおうという具合になっていきました。

こういう状態になってしまうと完全に自分自身で考えることができなくなってしまいます。傍から見るとぼくはそれなりのことを言ってたかも知れない。でも結局それも誰かの考え方をしゃべってただけなんですよね。自分の言葉でしっかりと話をしていたかって言われるときっとNOなんです。自分自身でしっかりと考えて話をしてないんですよ。

自分で考える力を取り戻すためには断ることを覚える

相手の意見をすべて受け入れてきたのを止めることが思考を取り戻す第一歩。自分の欲求や欲望を表現することからはじめないといけないんですよ。自分の思いを表現できるようになればきっと自分で物事を考えられるようになってくるはずだと信じてます。

まずは自分の望むことをやろう。最近インターネット上でこんな記事を見つけたんですよ。

自分が嫌だと思うことには、はっきりと嫌だと言う。同じように、自分が好きだと思うことに対しては、周囲の人間が何と言おうが「自分はこれが好きだ」と宣言する。たったそれだけのことで、人間は清々しく生きることができる。

人間の誇りは「断る」ことから生まれる。周囲の空気を読むことよりも、誰かに好かれようとすることよりも、ずっと優先するべき大切な事柄がある。それが「自分の人生を生きる」ことであり、「自分自身を幸福にすること」ではないだろうかと思っている。

いばや通信

これを見たときにハッとしたんですよ。自分を押し殺して生きていても全然人生楽しくないって。自分の思いに正直に生きるだけで自分はもっと気持ち良く生きていくことができるんだってね。自分の人生だからもっと楽しく生きたいですよ。

だから嫌なことには嫌だって断る。今のぼくの目標です。

※ちなみにこういう記事を書くとネチネチとネガティブなことばっかり言ってるって思われるかも知れませんけど、あくまでこの記事はぼく自身が前向きに生きるために書いてます。その点はご理解いただけると嬉しいです。こうやって自分の気持ちを文章にすることで自分の気持ちの整理ができたら良いと思ってるし、もし同じような境遇の人にとって良いことがあればそれはそれで幸せなんですよ。