凄惨極まる戦場
2015年9月19日から12月13日まで東京国立近代美術館で開催されている藤田嗣治(ふじた つぐはる)の全所蔵作品展示を見にいってきました。ちなみに藤田嗣治とはどんな人物か。
藤田 嗣治(ふじた つぐはる、1886年11月27日 – 1968年1月29日)は日本生まれの画家・彫刻家。戦前よりフランスのパリで活動、猫と女を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びたエコール・ド・パリの代表的な画家である。フランスに帰化後の洗礼名はレオナール・フジタ(Léonard Foujita)。
ウィキペディアより
今回の展示では戦前のパリで描かれた絵、戦後に描かれた絵などが展示されていたんですがぼくが最も衝撃を受けたのが戦争画と言われるものでした。彼自身従軍画家として戦地に派遣されて絵を描いていたようでその時の風景画なども展示されていました。でももっとも凄惨なものは実際にその場にはいなかったものの、その戦地での戦闘をイメージして描かれた絵画です。
それらの絵は濃い茶色から黒といったとても暗い色。その暗い暗い闇が絵全体を支配しています。その中に浮かび上がるように描かれているのは敵軍と戦闘を繰り広げる日本軍の兵士たち。ある兵士は件で相手の腹部を突き刺し、ある者は相手の首をはね飛ばすなど凄惨極まる情景なんです。そんな絵が数多く展示されていました。
眼に宿る生への執念
色々な絵を見ているてとても印象的だったのが生きている兵士の眼。眼にはほんの小指の先ほどのちいさな白い輝きが描かれていたんです。その輝きが彼らの生への執着に思えてなりませんでした。死がすぐ近くまで近づいている。死を感じながら激しく燃える命をというものを感じましたね。
消えていった無数の可能性
これらの絵の下の方にはよく見ないと分からないんですが多くの人たちが描かれています。彼らの顔には表情がありません。眼には輝きもないんです。死んで行った人たちが山のように積み重なってました。
絵では彼ら一人一人は風景の一部として描かれています。でも彼ら一人一人に人生があり、無限の可能性があったんです。戦争というものによって彼らのこれまで築き上げてきたもの、これから築いていくであろうものが一瞬にして消え去ってしまった。そういう無念さというものを感じます。
絵は言葉では伝えられないから実際に見て
ぼくがこれらの絵を見て感じたことを書いてみましたが全然伝わってないと思います。実際に見てみんながそれぞれに感じてほしいと思いますね。
藤田嗣治、全所蔵作品展示
期間:2015年9月19日〜12月13日
場所:東京国立近代美術館
アクセス:東京メトロ東西線竹橋駅 1b出口より徒歩3分