自分を殺して新しい自分になることは生への執着である
またこいつがやってきた。
定期的にぼくの心に現れてぼくの心をかき乱す存在。もう一人の黒い自分。
ぼくの心は不定期ではありますけど、躁状態と鬱状態を繰り返しているようです。ここ数日の心のざわつきから考えると何事にも前向きに考えられる躁状態からネガティブ思考が支配する鬱状態に切り替わりつつあるみたい。
鬱状態になると黒い自分が支配的になります。彼は完全に自己否定をしてくるんです。
“お前は生きてる価値なんかない”
時々死にたくなる。
以前はこの状況に振り回されて消耗してしまっていましたが、今ではこういう部分も自分の一部なんだと理解するようになりました。そして少しでも自分にとって居心地の良い状態にしようって思うようになったんです。
そこでぼくが考えたことは自分を殺すこと。
別に自殺なんかで本当に殺してしまう訳じゃないですよ。自分の意識の中にある自分を殺すって言う意味。自分ともう一人の黒い自分も両方とも消してしまって新しい自分になるってことです。
自分を殺すっていうことは生への執着です。生きたいという欲求が自分を殺すという行動に結びつく。
どういうことか?
黒い自分が支配的な状態はまったく良い状態ではない。自己嫌悪に陥ってぼくはまったく生きた心地がしないわけです。こんな状態を生きているって言うのでしょうか?ぼくにとってこの状態は生きているとは言えないんです。死んでいる。
だからこそ死んでいる自分を殺して、生きている自分を取り戻す。これが自分を殺すっていう意味なんです。
自分を殺すことは自分が生きたいという生への執着。
変われない人間は生きられないという事実
自分を殺して新しい自分が生まれる。こうして毎日毎日生まれ変わって生きていかなくちゃいけない。
ぼくの基本的な考え方として“花開くように死にたい”というものがあります。なんの悔いもなくやりきったという充実感だけを持って死にたいってこと。
花開くように死ぬためには停滞していてはいけないんです。黒い自分に自己否定されて死んでいるような行き方じゃ幸せに死ねるだろうか?絶対に無理でしょ。
常に生気に満ちた毎日を過ごす必要があるんです。毎日毎日生まれ変わり、生まれたばかりの溢れるエネルギーを使って突き進む。そうするしかぼくの生きる道はない。
自分を殺すっていうことは人間の細胞レベルでは普通に行われていることです。アポトーシスと呼ばれるもので、”プログラムされた死”と言われています。生体の正常な状態を維持するため、不要になった細胞が自ら死ぬのです。
ぼくら人間の身体だって数ヶ月前と比べたら、多くの細胞が死んで新しく生まれた細胞で置き換えられています。生まれ変わるっていうことは当たり前なんです。
これは個人の精神に当てはめても良いんです。人間としての正常な精神状態を維持するために、毎日自分を殺して新しく生まれ変わる。人間として活力ある人生を送るためにはやっぱり必要なことじゃないですか?
あなたは誰の目も気にする必要はない。あなたの人生だ
じゃあどうやって自分を殺すのか?これはとても難しい問題であると同時にとても簡単なことです。
つまり、自分の決意にかかっているんです。
自分を生まれ変わらせるために、あらゆる外的要因を無視する覚悟が自分にあるのかっていうこと。
自分を変えるためには今までやってきたものを全て否定する必要もあるでしょう。社会的におかしいんじゃないのかって批判されることにも挑戦する必要があります。今まで常識だと思ってきたことを否定しないといけないかも知れない。
場合によっては今まで築いてきた人間関係が崩壊してしまうかもしれない。
ものすごく恐ろしいこと。だからこそとても難しいことだって言うんです。
でも、ここでよく考えてみてください。もう人の目を気にすることは止めませんか?自分で考え抜いて出した答えを、人から受け入れられないからって理由で簡単に撤回できるようなものなのか?
外圧に負けて撤回した後に自分の心に残るのは後悔です。後悔は自己嫌悪の源泉ということを意識しないといけない。
あなたの人生はあなたのものです。みんなはあなたのことを真剣には考えていません。一番真剣に考えられるのはあなたしかいないんです。その自分が考えたことをあなた自身が否定してどうするんですか?
覚悟を持って自分を殺せ!それが生きることだ