仕事のために人は生きてるんじゃない
時々目にするこんな場面。
これから新しい事に挑戦しようとしている人がいて、その人に向かってこんなことを言う人がいる。
“今さらそんな事をしてどうするんだ?仕事の役にも立たないし、もう何かをするような年齢じゃないだろう。”
そう説教する人を見る度に思うんですよ。
この人の視野ってすごく狭いんだな。そして今まで抑圧された人生を送ってきたんだろうなって。
なんで人はすぐに仕事に結びつけたがるんでしょうか?何をするにも、仕事に役に立たないことは無意味だって判断するのかな?もしかして自分がそう周りから叩かれてきたから自分も叩いてやろうって思ってるのか?
人が生きる意味ってのは、自分が死ぬ時にどれだけ満足して死ねるかだと思ってます。
つまり人生において全てをやり切った。もうこの世には未練はないと言う気持ちで死ねるかだってことです。晴れ晴れと死ぬために、今という時を苦しみながら生きてるんです。
ぼくのイメージする死はこんな感じです。
たしかに仕事って言うのは大事だとは思いますよ。否定はしない。でも全てじゃないし、もっと大事なことはいっぱいある。
新しい事に挑戦するって言うことは自分に対しての挑戦なんです。新たな環境に怖気づく自分を殺し、新たな自分を生み出す。
このまま行けば人生安泰だ。そんな人生の道を自らはみ出し、密林の中をひたすら突き進む。
これは自分との戦いなんです。対峙すべきなのは自分。自分と向き合い戦っていくと言うことは、人生をどう生きるかということとイコール。
これこそが人生でもっとも大切にすべきことであると信じてます。
挑戦することを否定することは、人生を投げ出した人間だ。
知ることで見える世界が変わる
挑戦することで自分自身が強くなる。自分を殺して生まれ変わり続けるわけです。
そうしているうちに、ぼくらの目に見える景色が変わってくるはず。
これは事実なんですが、挑戦することで色んなことを知ることができる。そうすると今まで生きてきた日常の景色ですら全く違ったものでもあると気付くんです。
同じ時、同じ場所だけど知ることによって見えるものは、人によって違う。
たとえば満天の星空の下にいるとしましょう。
ある人はこの満天の星空に織姫と彦星のストーリーを思い浮かべる。
別の人はこの広大な宇宙の起源について思いを馳せているかも知れない。
同じ時、同じ場所にいてもその人の持つもの、つまりこれまで生きてきた中で得てきた経験や思考、知識など様々なものによって世界はこんなにも違ったものに見えるんです。
世界は一枚ではない。いくつもの見方によって様々な見え方をする。無数のレイヤーによって構成されているんです。
挑戦することによって、これまでとは全く違った世界を見る目を手に入れることができる。まったく同じ空間にまったく別の世界を見ることができるようになるんです。
こんなワクワクすること他にありますか!
自分を乗り越え、新たな目を獲得する。まさに自分が生まれ変わるわけです。
こうした経験なく死んでいくなんて悲しいことだし、せっかく勝ち取った生の浪費に他ならない。
挑戦し続け生きろ!