これが言いたい

盲目的に宗教を信じるな!教えは食べて消化し血肉にしろ

投稿日:2017年7月18日 更新日:

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こんにちは、moriです。

特定の宗教って訳じゃないんですが、時々宗教のお誘いに誘われることがあります。

そこで感じる違和感

それについてぼくの思いを書いてみたいと思います。

盲目的に教えを信じるのは自分不在。洗脳と変わらない

宗教には必ず教えというものがありますよね。
仏教はお経、キリスト教だったら聖書、イスラム教ならコーラン。

おことわり

宗教の専門家ではないので、間違ったことを書いているかも知れません。
ここで理解してほしいことは、各宗教の詳細な情報ではなくて宗教と自分の付き合い方ということです。

ここには人としての生き方というものが書かれています。

仏教の場合には「五戒」。

五戒(ごかい)とは、仏教において女性・男性とを問わず、在家の信者が守るべきとされる基本的な五つの戒のこと。

  • 不殺生戒(ふせっしょうかい) – 生き物を故意に殺してはならない。
  • 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) – 他人のものを故意に盗んではいけない。
  • 不邪婬戒(ふじゃいんかい) – 不道徳な性行為を行ってはならない。
  • 不妄語戒(ふもうごかい) – 嘘をついてはいけない。
  • 不飲酒戒(ふおんじゅかい) – 酒などを飲んではいけない。

五戒 – Wikipediaより一部引用

ぼくは昔、まだ子どもの頃ですがキリスト教系の宗教をやってたことがあります。
だから聖書についても少しですが勉強したことがあるんですよ。

ここでもやってはいけないこととしていくつかの事柄が並べられています。
モーセの十戒からいくつかピックアップしてみました。

モーセの十戒(十誡、じっかい、ヘブライ語: עשרת הדיברות )とは、モーセが神から与えられたとされる10の戒律のこと。

  • あなたの父母を敬え。
  • 殺してはならない。
  • 姦淫してはならない。
  • 盗んではならない。
  • 隣人に関して偽証してはならない
  • 隣人の妻を欲してはならない。
  • 隣人の財産を欲してはならない。

モーセの十戒 – Wikipediaより一部引用

こんな感じで宗教によって、「こんなことはしてはいけない」とか「こういう風に生きなければいけない」などというものがあります。

宗教の集まりに来る人はみんな熱心に勉強しているようでした。
でも、そこでぼくが感じた違和感っていうのは「宗教の教えをただただ信じる」だけの人が多いんじゃないのかってことなんです。

先生のような人からお話を聞いて、すごく納得した。いい話だった。

それで満足している人が多いんじゃないのかなってこと。。
ただ偉い先生の話を聞いて「先生のお言葉はおっしゃるとおり!」

ひたすら受け身じゃない?
ここには自分は不在ですよね。
極端なことを言うと洗脳と同じなんじゃない?

教えを守ればすべてOK。いやいや違うだろ

宗教の教えはたしかに良いものでしょう。
大昔から今に至るまでずっと多くの人の心の拠り所になってきたんだから。

ぼくもほんのちょびっとだけど聖書を読んだり、話を聞きました。
もちろんすごくまともで正しい話です。

でも、その教えをただ守ることがすべてではないというのがぼくの考え方なんです。

言われたことをそのまま鵜呑みにして守る。

さっきも言いましたけど、そこには自分がいない。
宗教の教えを実行する「ただの器」としての自分じゃダメだろう。
もっと宗教にも自分の気持ちを注ぎ込むべきです。

教えを自分の中で消化してこそひとりの人間として生きていくことができる

偉い先生の話を聞いて、それを実行する。
これは宗教との関わり方として間違っている。

教えは自分の中でも消化し、血肉に変えてこそ価値あるものになるんです。
良い話を聴いたという一時的な自己満足で終わっているうちは、本当にその教えを自分のものにしたことにはならない。

時々こういう光景を目にします。

偉い先生のお話とか説教などを聞いている時には、

「もっともな話だ素晴らしい。人間はこう生きるべきだ」

なんて分かったつもりになってるけど、話が終わって普通の生活に戻った時にはまるでさっきとは別人のようになってしまう。

さっき聴いてた話は一体なんだったの?

ってツッコミをいれたくなります。
形式的に学んだつもりになってることに驚きます。
それだったら初めから話なんか聴かなかったら良いのって。

こういう宗教の教えっていうのは、話を聴くことが一番大事なんじゃない。
話を聞いた後、その内容を自分で噛み砕いて消化しないと意味がないんです。

いいですか、相手の言葉はこのままでは自分の血肉にすることはできない。
自分の中でしっかりと考えてこそ、この教えは生きてくるんですよ。

ぼくは宗教というものは、受け身では絶対にいけないと思ってます。
宗教の教えにどんどんツッコミを入れていく。これくらいもっと前のめりで向き合うくらいがちょうどいい。

宗教だけじゃない。学びは自分が主体でなければならない

ここまで宗教は受け身ではいけないと何度も言ってきました。
勘のいいあなたは気づいたかも知れませんが、この話はなにも宗教に限ったことではありません。

何かを学ぶ時、すごい人の話を聞くことって多いですよね。
その人の話を聞いただけで、満足してませんか?

話を聞くだけでは自分の血肉にこれっぽっちもなっていないんです。
聞いた話をもとに自分の中で消化吸収する。
これができないなら人生はきっと何もうまくいきません。

すべてにおいて自分が主体的に行動する。
これがぼくが宗教から学んだことです。

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