ブサイクだからこそくまモンなのだ
くまモンってはっきり言ってちょっとブサイクですよね。
いきなり失礼しました。一応ぼくはくまもんを褒めてますので関係者、ファンの皆様怒らないでくださいね。
一時のブームは去りましたが今でも健在なくまモン。熊本県に行った時にはその熱烈な愛されぶりにビックリしたんですけど普通に熊本県以外でも愛されてますよね。最近では日本各地や遠いところではカンボジアでも見かけました。カンボジアではなんとうどんのパッケージにくまモンが使われているんですよ。いやぁ愛されてますね。
なんでこんなにくまモンは世界進出までしてしまったかっていうとキャラクターを利用しやすい規定にも原因はありますが、もっと大きな原因はちょっとブサイクだからなんですよ。ブサイクっていう不完全さがあるが故に多くの人から愛されているっていうんですかね。
想像してみてください。端正な顔立ちのくまモンを。気持ち悪いでしょ?ってかあなたは端正な顔立ちのくまモンを愛せますか?ぼくは無理ですね。なんの愛着もわきません。
くまモンはあのなんともいえない間の抜けた顔(欠陥)があるからこそ人に愛され続けるわけです。
完璧な人間になんてなれないんだから欠陥も愛される人になろう
ぼくは昔は完璧な人間にはなれるもんだと思ってたんですが歳を重ねていくにつれてそんなことは不可能だって分かってくるんですね。世の中の誰一人として完璧な人間になれる人なんていないわけです。だからそんなものになろうなんていう幻想はさっさと捨てて欠陥のある自分をさらけだして生きて行く方が良いんです。
こんなことを自分で言うのはどうかと思うけど、欠点のある人ってその欠点がその人の魅力になるってこともあるんですよね。”仕方のない奴だなぁ”なんて思われたらこっちのもん。そんな感じで欠点をさらけ出して愛してもらう。そんなゆるい感じで生きていくっていうのもありなんじゃないかな。
もちろん自分も相手の欠点は認めるし、それを愛せるようになりたいですよね。お互い様の精神。人にはみんな欠点がある。そしてそれを当然のこととして認め合うことのできる社会っていうのが生きやすい社会なんじゃないかな。
くまモンのように愛されるように生きていこうよ。