Twitterは現代の俳句だ
Twitterが140字の文字数制限を大幅に緩和して1万字まで投稿できるようにするらしいというニュースが飛び交っています。
ぼくはこのニュースに関しては残念な気持ちなんですよね。Twitterは140字という少ない文字制限の中で自分を表現するメディア。文字数に制限がないブログやFacebookなどとは一線を画しています。
少ない文字の中にいかに自分の思いを込めることができるのか。ぼくには俳句に通じるものを感じるんですよ。Twitterを見ていると、本当にうまく短い文章の中に自分を表現しているなって思うツイートが目に入ります。短いツイートから、それを書いた人の強い思いや様々な情景が浮かんできたりするのを体験することがあるんですよね。
こんなツイート、いいですね〜
プログラミングに限らず向き不向きから入るのは良く無い、やってみる前から「向いてる」「向いてない」と判断出来ると思うなんて、とても傲慢なんじゃないか
— 家入一真 (@hbkr) 2015, 10月 22
人に嫌われるかもしれないとか、誰かに馬鹿にされるかもしれないとか、安定した生活を送れないかもしれないとか、自分の気持ちを理解してもらえないとか、自分には力がないとか、自分には金がないとか、自分には自信も技術も勇気も足りないとか、もう、そんなことはどうでもいいじゃないか。 — 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2015, 9月 1
そういう人の強い思いなどを感じる度に、Twitterって単なる単文投稿サイトではないと思うんです。ちょっと大げさかもしれないですけどTwitterの中には文学が存在しているんですよね。他のサイトには見られない凝縮された表現っていうんですかね。投稿者の考え抜いた言葉が並ぶ、これこそがTwitterの最大の特色じゃないかな。
Twitterに投稿する時ってブログやFacebookに投稿する時とはまた違った感覚になります。ただ単に自分が思っていることをつらつらと書き連ねたら良いっていうもんじゃないんですよ。140文字という文字に収まる形で自分を表現しなければいけない。文章というものについてもっとも考えるのがTwitterなんじゃないでしょうか。
Twitterはぼくたちに凝縮された密度の濃い文章を考える機会を与えてくれているのです。
1万字で散漫な文章が溢れかえる
140文字の制限が1万字に拡大されるとします。これまでは140字の制限があったために人々は少ない文字に様々な思いを込める努力をしてきました。でも1万字になったらどうですか?
わざわざ頭をひねって濃密な文章を絞り出す必要がなくなるんです。それは確かに声を発するのが楽になるでしょう。でもそれは同時に、俳句に通じるような素晴らしい文学がTwitterから消えてしまうのではないかって思うんです。それがぼくはなんだか残念っていうか寂しい気がするんですよ。
140字のTwitterが好き
今回はTwitterについて思うところを書いてみたんですが、やっぱりぼくは140字という短い文字数制限のあるTwitterが好きだなってこと。 凝縮されたメッセージを書けるように日々鍛錬していきますよ。たとえTwitterが1万字になってもね。