2月最終日は世界希少・難治性疾患の日
2月最終日は世界希少・難治性疾患の日だそうです。
世界希少・難治性疾患の日(せかいきしょう・なんちせいしっかんのひ、英: Rare Disease Day、RDD)は、希少疾患、難治性疾患の啓発を目的として、世界的規模で毎年2月末日に開催されている”Rare Disease Day”の、日本での正式名称である[1][2]。
Wikipedia 世界希少・難治性疾患の日より引用
それを知ったのはこの記事。
どんなに意味ある情報も、伝えなければそれはないのと同じこと。 | Gorian91@筋力低下中
この記事を書くに当たってぼくは悩みました。難病当事者でない自分が安易に書いてしまっていいのだろうか。
でも、書いて何らかの自分として思いを残すっていうことは大事なんじゃないか。無関心ではいられない。そんな思いから今回、世界希少・難治性疾患の日に合わせて自分の思いを少しだけ綴ってみたいと思います。
病気を持つ当事者が発信するのが重要だけど決めるのは本人
さきほど紹介した記事を書かれているGorian91さんはこのように書かれています。
難病当事者など社会的少数者たちは、もっと情報発信をすべきなんですよね、きっと。ヨスさんもおっしゃってますが、発信しないとだれもわかりません。
どんなに意味ある情報も、伝えなければそれはないのと同じこと。より引用
ぼくもその通りだと思います。多くの人に病気のことを知ってもらおうとするなら発信すべきです。実際にGorian91さんが難病について記事を書き、インターネット上に公開してくれたおかげでぼくは難病について今こうして考えているわけです。
もしこの記事に出会わなかったらこうやって難病について考えることだってなかったはずです。多くの人に知ってもらうためには当事者やその近くにいる人の積極的な発信が大切なんだと感じました。
そういう思いがある一方、ぼくにはもう一つの思いもあるんです。
“情報を発信するかどうかは本人が決めるべき問題”
たしかに難病は一般的な病気に比べて情報量も少ないだろうし、当事者の情報を知りたがっている人もいるっていうことも理解できます。でも最も優先されるべきなのは難病を持つ当事者がそれで幸せであるかどうかなんじゃないでしょうか。
情報を公開することによって周りから偏見の目で見られてしまうなど、自分の持っている病気を人には知られずに隠しておきたいという人だっているはず。情報を発信するということは、自分の病気を周りに公表するということにもなるわけです。
この公表によって当事者が負い目を感じてしまったり、まわりから偏見の目で見られるなどの苦痛を味わうのなら情報を発信すべきではないというのがぼくの考え方。
あくまでも当事者が納得した上での情報発信であるべきです。一個人としての幸せを犠牲にしてまで無理に発信するのは違います。
当事者が発信することでより強いメッセージを社会に投げかけられる
情報は当事者が発信することがいかに大事かということについて考えてみました。
発信する言葉に込められた熱量って当事者が一番多くて、次に当事者に近い人、関係者、一般と言う順になってるんじゃないかなと感じてます。
これまで色々な場所で病気に関するイベントが開催されています。2月最終日の世界希少・難治性疾患の日もそうですよね。ぼくは世界希少・難治性疾患の日のイベントを実際に見たことがないので別の例で話します。
たとえば世界的にアピールされるものとして12月1日の世界エイズデーがあります。いろんな媒体で世界エイズデーについて取り上げられるのを聞いていて思うことがあるんです。
こういう場所で色々と発言するのってアーティストやタレントだったりすることが多いですよね。彼らの言葉からはぼくはあまり熱意を感じるっていうことがあまりありません。ぼくで感じないんだから他の人だってそんなに感じてないのじゃないかな。でもそれは仕方ないことなんです。彼らはその病気を持っている当事者じゃないんですから。
人間というものは当事者にならないと分からないことがある。当然です。だからこそ発信しても良いという当事者には発信し続けてほしいなと思うんです。当事者の強いメッセージこそが社会を動かしていくんじゃないでしょうか。
発信を継続するという点も非常に重要です。先ほど例に挙げた世界エイズデーに例えて言えば、この期間だけはいろんな媒体を使って情報が発信される、でもこの期間が終わってしまった途端一気に情報量が減ってしまいます。
少し前に大きな話題になったアイス・バケツ・チャレンジを覚えている方も多いと思います。あれだけ多くの著名人が参加したこの企画、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) という病気を世界の人に知ってもらうということには成功しました。でもこの病気のことを今でも覚えている人ってどれだけいますか?
あれだけ声を大にして叫んでいた人の中に、ずっと発信を続けている人がどれだけいるでしょうか。そんなに多くはないはず。それはその病気がその人にとって自分自身の問題じゃないからなんです。自分自身の問題でないものにずっと声を上げ続けるっていうことはやっぱり難しいんですよ。
だからこそ、その病気を持っている当事者やその傍にいる人たちがずっと発信し続けていくことがとても意味のあることなんです。ずっと声を出し続けていると、だんだんその声に触れてきた人の中に関心が生まれてくるもの。接触回数が多ければ多いほどその人のことが気になってくる。
単純接触効果(ザイアンスの法則)というものです。
単純接触効果(たんじゅんせっしょくこうか)は、繰り返し接すると好意度や印象が高まるという効果。1968年、アメリカの心理学者ロバート・ザイアンスが論文にまとめ知られるようになった。 ザイアンスの単純接触効果、ザイアンスの法則とも呼ばれる。
Wikipedia 単純接触効果より引用
これは難病の認知にも当てはまると思うんです。当事者が何度も何度も情報を発することによって、それに触れた今まで無関心だった人たちの中にその病気に対する関心が生まれてくる。
情報を発信することの大切さでもう一つ大切なこと。それは当事者の生の声は同じ病気を持つ人にもきっと役立つってこと。発信することによって同じ病気を持つ人に安心を与えられる。これも情報発信の大事な役割です。
本人が発信できないのであれば、近くの人でも良いんです。少しでもリアルな声を届けてほしいな。もちろん本人がそれを望む場合に限るけど。
さいごに
世界希少・難治性疾患の日ということで難病について考えてみました。多くの人に病気のことを知ってもらうためには当事者やそれに近い人の情報発信がとても大切。
世界希少・難治性疾患の日だから情報を発信するということではなく、継続して発信していくことも大事。人はすぐに忘れてしまいます。何度も声を出し続けることで多くの人の意識も変わってくるんじゃないでしょうか。
でも情報の発信によって本人が不幸せになるようなことはあってはなりません。それは本人の自由なのだから。
難病について考える機会を与えてくださったGorian91さんに感謝いたします。