まるで野獣!知らぬ間に”環境”に支配され恫喝しまくる人を見て思ったこと

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短気な人は環境に支配されているメンタルヘルス
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面識ない人に当然大声で恫喝する姿はまるで野獣

日曜日の朝っぱらからとんでもないものを見てしまいましたわ。いや、気分悪いって言うか意味不明すぎてぼう然。

これを見ていろいろと考えることがあったので記事として書いてみることにしました。

信じられない光景に遭遇したのはとあるファストフード店。注文する数人の列ができていたところです。

先頭には小さな子ども。たぶん小学生にもなっていない感じかな。カウンターよりずっと低い身長の子どもでした。

その子の前に大人の人が割り込んだみたいなんですね。ぼくもその瞬間を見ていたわけじゃないので割り込んだのか、子どもが並んでいるとは知らずに先に注文してしまっただけなのかは分かりません。もしかしたらその大人の人は、子どもがひとりで列に並んでいるとは思っていなかったのかも知れませんね。

結局その子は注文することができなかったようで親の所に戻ってきました。そうすると母親がとんでもない行動に出たんです。

彼女はカウンターの前まで行くと店内に響き渡る声で店員を怒鳴りつけました。

“お前!この子が先並んでたん見てたやろ!なにこのおっさんに割り込みさせてんねん!”

もっと穏やかや口調で抗議しに行くと思ってたので、この罵倒とも言える抗議にはビックリして固まってしまいました。

すぐに店員は謝ったんですが彼女は気に食わないのか暴言を吐き続けます。

そうするとこのやり取りを見ていた別のおじさんが彼女に何か言ったみたい。そうしたら今度は彼女の怒りはそのおじさんへ。

“はぁ?お前最初からいてないのにおっさん関係ないやろ!”

もうボロカスにそのおじさんのことを罵倒しだしたんです。さらに追い討ちをかけるように客席に座っていた父親の方もこうおじさんに向かってこう言いました。

“おい、おっさん!”

彼女に注意するのかと思ってたら、父親の方もおじさんを罵倒です。もう開いた口が塞がらなかったですね。意味不明。

はじめは店員の不注意だったかも知れません。でもそれに対する抗議の仕方はまったくおかしいですよね。

抗議する方にだって最低限のマナーは求められます。店員といえども人間です。ひとりの人間に対する敬意を表せない人は最低ですよ。

まして初対面の人に向かって“お前”とか“おっさん”と呼ぶなんてキチガイですね。もう理性のある人間としてではなく、本能のまま生きてる野獣でも見てる気分でした。

いやぁ、なんであんな態度を平気でとれるのか本当に不思議です。世の中には理解できないことが多すぎますよ。ほんと。

すぐにキレる短気な人は環境に支配させている

この行動を見ていて思ったことがあります。それは人間には2種類の人がいるってこと。それは感情を理性でコントロールできる人とできない人。

気長な人と短気な人と言い換えることもできますね。

もう少し深く考えてみると、気長な人は周りの環境に対して適応する能力があるということでもあります。

今回のケースであれば、理性で感情をコントロールできる人は、割り込みという自分にとって良くない事がおきたとしても感情的にならずに冷静に抗議をします。ここで感情的になっても何の解決にならないことを知っているからです。

感情的になったら相手とも冷静に話し合うことなんてできない。それだけじゃない。感情的になることで相手も逆上したらどうなるか?もう収拾のつかない事態になってしまう可能性だってありますよね。

発生した問題に対して自分が主体となって対処するという態度。周囲の環境によって自分というものを見失わないのが理性ある人です。

このように理性的に行動できる人は感情に狂わさることなく冷静に生きている。言い方を変えると、周りの環境から受けるあらゆる刺激をうまくかわす生き方なんです。これこそが自分が主体となって人生を生きているということ。結局、変な周囲の雑音にいちいち過剰反応しなくて済むので省エネで人生を生きていけるってことにも繋がるわけ。

理性のある人は環境に支配されない

逆に短気な人は自分にとって気にくわないことが起きる度に大声を出すことになります。ここは問題を解決したいっていう思いなんてみじんもなくて、ただ相手を攻撃できればいい。ただそういう極めて攻撃的な自分本位の感情しかないんです。こんなことじゃ問題を解決できるはずがない。

短気な人って周りの環境によって自分が振り回されている人なんです。

自分の周りに起きたことに過剰に反応してわめきたてる。まるでアレルギー反応みたいですね。

こんなことが習慣化していたら体は持ちませんよ。今回の人は割り込みされるという周りの環境によって激怒し勝手に消耗してるんです。

理性のない人は環境に支配される

こんなことじゃ自分が主体的に生きているとは言えません。周りの刺激に常に晒されて消耗し続ける。これって完全に自分は環境に支配されているってことじゃないですか?

もちろん怒りを爆発させるっていうことで得られるメリットというのもないとは言いません。

怒り狂って相手を罵倒しまくることで一時のストレス発散になるかも知れませんが、それによって失うものは多い。我を忘れて怒り狂うことで後から空しい気持ちにもなるでしょう。きっと周りの人たちは“なにこの人?頭おかしいんじゃない”って思っているはず。変な家族だって思われてるんじゃない?

こんなちっぽけなメリットのために大きなデメリットを受け入れないといけないなんてぼくにはできないなぁ。

ぼくだったら、周りで起きる出来事にいちいち過剰反応するなんて自分自身が悔しい気持ちでいっぱいになります。なんか自分がいろんな出来事におきる環境にもてあそばれている感じがするからね。

まとめ

感情的になるのは人間だから仕方ない。でも感情だけを剥き出しに生きているっていうのは消耗する生き方です。

理性でコントロールするということは人間が人間である大きな理由のひとつ。瞬間湯沸かし器みたいにすぐに激怒するようでは人間じゃない動物と同じです。

理性を働かして環境に支配されない生き方を目指しましょう。

おまけ情報をひとつ。トリプトファンという必須アミノ酸は精神を落ち着かせる効果があるそうです。イライラ気味の人はトリプトファンが多く含まれる肉、魚、豆を食べると良いんじゃないかな。食事から摂るのが良いですが無理な人はサプリメントをどうぞ。くれぐれも摂りすぎには要注意です!

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