「貧しい国に生まれたから未来がない」と絶望。それって悔しすぎないか?
先日カンボジアの友人からこんなメッセージがきました。
友人はカンボジアという国に絶望してぼくにメッセージを送ってきたんです。
たしかに友人の言いたいこともわかります。
ぼくはカンボジアに3年間住んだことがあり、現地の人たちともそれなりにいろんな関わりを持ってきました。
カンボジアの人たちが自分の国に絶望しているという話も聞いたことがあります。
- 汚職が横行するカンボジアの政治
- 拡大する貧富の差
- お金がすべてというような風潮
カンボジアに住んでいる時には、こんなことを実感しました。
特にカンボジアの友人はぼくが感じている以上に、カンボジアという国に絶望感を感じるんでしょう。
でも、それってすごく悔しくないか?
と言いたい。
たしかに辛い状況にあるのは十分にわかるんですよ。
でもね、辛い状況をなすすべもなく受け入れて絶望するのって悔しいよ。
絶望しか感じない人生ってなんなのさ。辛い中にでもぼくは希望を見いだしたい。
なんて自分は辛いんだ…不幸すぎる
こんな風に自分がしおれてしまうなんて悲しすぎないか?
辛いのをあるがままに受け入れて、それをエネルギーに変えて少しでも前向きに生きていきたいとぼくは思ってます。
なんて自分は辛い状況にあるんだ。こんな不幸なんて蹴飛ばしてやるぞ!うおおおお!!
って思えるようになれば絶対に絶望につぶされることはない。
自分の人生を自分で不幸に染め上げるなんて本当に悲しい。もったいないって!
絶望に費やす時間と体力を一歩前進することに使おうよ
絶望に覆われてしまった時に、絶望をエネルギーに変えることなんて簡単なことじゃない。
ぼくは数年前には絶望に覆われた人生を送っていました。
だから友人の気持ちは痛いほどわかるんです。
未来に希望を見いだせない。本当に辛いよね。時には自分の身体を傷つけることもある。
こうした暗黒期を乗り越えたぼくはこれだけは言えます。
絶望するのにも体力が必要。同じ体力を使うなら前向きなことに体力を使え!
毎日嘆き悲しむことにも相当体力を使うんです。絶望がさらなる絶望を呼びどんどん身体が病んでいく。
そしてこの闇に閉ざされた時間だって無情にも過ぎ去っていくんですよ。でもそれが自分ではわからない。世間から隔絶された一人孤独な世界でただ時間だけが過ぎ去っていく感覚です。ぼくは気がついたら2年くらい過ぎ去っていました。
今思えば本当にもったいないことをしたって後悔しています。
だから絶望する体力と時間を少しでも前向きなことに使いたいよね。
もちろん100%の力を前向きなことに使うなんて無理。
だってそうでしょ?
絶望の中で打ちのめされているのに、いきなり180°真逆の力で全力疾走するなんて無理無理。
だから絶望感を感じていても良いんです。でも100%絶望感に打ちのめされるのではなくて、1%でも良いからプラスの方向に進もうって決意する。
たった1%、されど1%です。
真っ暗な暗黒の心に、僅かな光を。
少しずつでいいから。
この1%の光が将来あなたをきっと救う。
希望に手を伸ばそうよ。真っ暗闇に沈まないように腕を前に、上に。
頑張れとは言わない。わずかな光は消すな!
変えられない「環境」に支配されるな!
「環境」はそう簡単に変えられない。
だから「環境」に絶望するなんて無意味なんです。
「環境」に変わってくださいなんて願い続けるなんて本当に馬鹿げています。
もしあなたが「環境」に絶望しているなら、そんな考えは蹴飛ばしてやればいい。
自分の人生。主役はあなただ。
「環境」はあなたの人生というショーの監督ですか?
あなたは「環境」なんてものに支配されるべきではない。
「環境」が気にくわなければ出ていってやればいいし、それができないのなら「環境」なんてぶっ壊してやればいいんです。
環境に絶望するっていうことは、あなたは環境の奴隷と同じ。
逆に環境なんてクソくらいだと思って、自分を奮い立たせることができるならあなたは自分の人生の主導権を握ったことになる。
そこからあなたの本当の人生が始まるんです。
ぼくの気持ちが伝われば嬉しいな。
人生は宇宙なんだから絶望してる場合じゃないよ。