こんにちは、moriです。
よく工事現場などで交通誘導をしている警備員。
全然知り合いでもなんでもないんですが、彼の話から豊かな生き方について考えてみました。
トラック運転手に罵声を浴びせられる交通警備員
とあるスーパーマーケットのイートインコーナーでの話です。
お昼ごはんをイートインコーナーで食べてた時、一人の男性とその横に座っている少し年配の女性に目がいきました。
この2人が知り合いなのか、偶然この場で会ったのかはわかりませんが会話が聞こえてきたんです。
どうやらこの近くの工事現場の警備員のようです。
そう話す交通警備員からは悲壮感さえ漂ってきました。
1日に何十台と来るであろうダンプカー。すぐに道を空けないと怒鳴りつけられるとなるとプレッシャーがすごいんだろうな。
ダンプカーの運転手もちょっとくらい待つだけで怒鳴りつけるってのはどういう神経してるんだろう。
交通警備員がいるからスムーズに現場に出入りできてるのがわかってないのかな。
いつも車で工事現場の近くを通るし、そこに暑い日も寒い日も、晴れの日も雨の日も立ってる交通警備員。
それだけでも大変な仕事だと思うんだけど、暴言にも耐えていたんだ。
なんか悲しくなってきた。
警備員だからって人間として下ではないだろう
平気で人を怒鳴りつける人って、その人を絶対下に見てるんです。
きっと運転手の中ではこういう構図が成り立っているんだろうな。
運転手 > 交通警備員
職業によってはなぜが下に見られることってありますよね。
こういう職業についてる人には、この程度の接し方でいいとか思ってる人。
警備員もそうだけど、飲食店の店員に対してもこういう高圧的な態度を取る人がいますよね。
あれ何なんだろう?
なぜ人間としてなぜ対等と見られないのか?
やさしい運転を心がけるようにしたい。その心は人間を豊かにする
この話を聞いてから、工事現場の前を通るたびにその人のことが気になるようになりました。
とか色々考えます。
そして、ぼく自身一番変わったことがあるんです。
それは交通警備員が赤の旗を振ったら、しっかりと止まるようになりました。
昔なら待たされるのが嫌なので、少し強引に行ったこともあったけど。
今じゃ、あの交通警備員の言葉がふと出てくるんですよね。
ちょっと待つくらいいいやん。
もちろん彼のことを考えて車を止めようという気持ちもあるけど、それだけじゃないんですよ。
普段の生活の中に、他人のことを少しでも考える余裕を持つ。
自分だけのことを考えて生きるのって何か嫌なんですよね。
「自分だけ」ってすごくゆとりのない生き方に感じてしまう。
彼の話は、ぼくにゆとりを持つことの大切さを気づかせてくれたんだと思ってます。
人のことを考えるって楽しいっていうか、決して嫌なもんじゃないですよね。
今回の件があってから、余裕のある気持ちが自分自身の生活全般の質を高めることがわかりました。
他人のことを気にかける。
自分自身も気持ち良い。
怒鳴り散らす人生なんて質の低い人生。もっと質の高い人生を生きたいですね。