こんにちは、モリレイです。
いきなりですが、ぼくの名前は「モリレイ」です。
友人や知り合いからはいろんな名前で呼ばれます。日本ではこんな感じ。
- モリさん
- モリくん
- もりっち
- レイさん
- レイ君
- レイ
以前住んでいたカンボジアではこんな風に呼ばれてました。
- Rei(レイ)
- តុលា(トラー)
- Mory(モリー)
今回はぼく自身の名前についてずっと考えていた思いを綴ります。
ぼくは「レイ」だ
繰り返しになりますが、ぼくの名前は「モリレイ」です。
「モリ」は姓。Last nameです。
そして「レイ」が名前。First name。
ぼくはいろんな呼び方で呼ばれるけど、はっきり言うと「レイ」と呼ばれたいんです。
なぜかって?
それは「レイ」がぼく自身だから。
「モリ」は家の名前です。
だから「モリ」と呼ばれるとすごく変な気分になるんですよ。
相手は自分に向き合って話してくれてない。そんな風に感じちゃう。
ぼくの顔を見て話しているんじゃなくて、肩に向かって話しかけられているような気持ちになるんです。
逆に「レイ」と呼ばれると、本当に自分に向かって話してくれてるんだなと思うんですよね。
もちろん日本的な考え方だと姓で呼ぶのが一般的。
姓で呼んだからといって相手のことを見てない、という風にはならないのもわかります。
でも、ぼくはあえてそういう文化があるという前提でも名前で呼んでほしいんです。
姓はぼくの属性の一つに過ぎない。だから名前を使いたい。
これがぼくの思い。
海外の心地よさは名前(ファーストネーム)で呼ばれるから
ぼくは海外に行くと実に気持ちがいいんです。
文化や言葉、気候などが違うこともありますけど、一番の原因はファーストネームで呼んでくれるから。
海外ではみんかぼくのことを「Rei」と呼ぶし、ぼく自身も自分の名前を伝える時には「Rei」と伝えます。
本当に清々しい気持ちになるんです。
家に囚われない自由な自分を前面に押し出せる爽快さが海外にはあります。
日本では「Mori」を押しつけられてる自分が海外では解放されるという感覚ですね。
ちなみに海外でもぼくのことを「Mori」と言う人もいます。これはほぼ全て日本に何らかの原因があります。
最初のパターンは「初対面での紹介」。
日本人がぼくを相手に紹介する時に「Mori」と紹介する。これで紹介された相手はぼくのことを「Mori」と認識してしまいます。
酷い時には日本人が人のことを「さん」づけで紹介するので、相手はぼくのことをそれ以降「Mori san」と言ってしまうことも何度かありました。
相手が「Mori」をファーストネームかラストネームかどちらとして認識しているかは聞いたことないんで分かりませんが、ずっとぼくのことを「Mori」と言いますね。
次は「海外の人でも日本の文化をよく知っている人」の場合です。
相手はぼくが日本人だと知っているので、ぼくのことを「モリ」と言います。姓で呼ぶのが日本では一般的だからです。
もちろんそれは人それぞれで、日本に長く住んでた人、日本のことをよく知ってる人でもぼくのことを「Rei」と呼んでくれる人もたくさんいます。
これは個人個人の考え方でしょう。
でも、ぼく個人的にはものすごく違和感を感じてしまうんです。
カンボジアでは「トラー」と呼ばれていた
ぼくはカンボジアに住んでた時にはもう一つの名前がありました。
តុលា(トラー)
この名前はカンボジア名として、カンボジア語を教えてくれた先生がぼくにつけてくれた名前です。
名前の由来はすごく単純というか安直。
Tolaは10月という意味のカンボジア語です。
ぼくの誕生日は12月なんですが、12月というカンボジア語(トゥヌー)は一般的でないから10月にしたそうです。先生曰わく11月も一般的ではないらしい。
そんな感じでサクッとつけてもらった名前なんですが、不思議なもんでなんか愛着をもってしまったんですよね。
だからカンボジアに行った時には本名「Rei」「Mori」以外に「Tola」と自分のカンボジア名を紹介してました。
そうすると意外なことに「Tola」と呼んでくれることが多かったですね。
この名前は自分の本当の名前じゃないけど「Mori」より自分自身のことのように感じました。
やっぱり姓で呼ばれるのは、ぼくにとって違和感があったんでしょうね。
やっぱり名前で呼ばれたい
うやって海外での経験などを書いていくうちに、ぼくはやっぱり名前(ファーストネーム)で呼ばれたいと確信しました。
姓はぼくにとって属性の一つにすぎない。
ファーストネームこそがぼく自身なんです。
日本ではファーストネームで呼ぶのに抵抗があるので、せめて「モリレイ」とフルネームで呼んでもらえると嬉しいです。