世界には色んな考え方の人がいる
最近はテロのニュースがほぼ毎日報道されていますよね。テロによって多くの命が奪われていることにぼく自身もとても心を痛めています。なんでこんなに憎しみの連鎖が起こってしまうんでしょう。
最近いろいろと考えることがあったんで今回は書いてみようと思いました。それはみんなが争いのない平和な世界を望んでいるけど、そんな世界は決して訪れないってこと。
世の中にはいろんな人が住んでいるんですよ。この狭い日本の中でさえ考え方の違いで殺人事件とかが頻繁に起こっていますよね。世界に目を向けたら日本人だったら当然だと思う常識なんか全く通用しないことが常識となっている国もいっぱいあるわけです。
だから日本人が”こんな事はしないだろう”って思っていたとしても相手にとっては”そんなことをしない”なんてことはそもそも考えたこともなかったらやってしまいますよね。もちろんそこには悪意なんてものも何もないわけです。こんなに価値観が違う人とは仲良くなれないでしょ?
価値観が違ったら
当然のことですけど価値観が同じ人同士ならば仲良くできます。良いこと悪いことが何かって分かっているからつきあい易いですよね。でも価値観が違っていたら話もできなくなることもあります。そうなったら相手を無視するか、最悪の場合暴力での排除に。
でもそんなことを言っていたら社会というものがなりたくなるのでルールというものを作って守るべき物事を決めるんですけど、それも所詮妥協。完全に両者の考え方が一致することなんて滅多にないんじゃないですか?だからみんなの中に不満は溜まり続けることに。それが溜まり溜まって爆発してしまうこともあると思うんですよね。もちろん最初からそんなルールに従わないっていう人も必ず存在します。
教育こそがすべての根幹
そういう時に暴力による排除などの形になってしまうんですよね。もう一回言いますね。世の中には色んな人がいるので紛争がなくなるなんてことは絶対に無理なんです。
平和主義は大切だと思いますよ。そりゃあみんな平和に誰も傷つけずに生きていけたら幸せですよ。でもね、無理なんですよ。暴力反対ってただ叫ぶだけじぁダメなんです。意見の相違を認め合う教育、それを尊重できる心の広さを身につける教育を行っていくべきです。教育こそがすべての根幹にあると確信してます。