人間はそれぞれ自由に生きていい。PLの大平和祈念塔で自由であることの素晴らしさを感じた。

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大平和祈念塔国内旅行(関西)
大平和祈念塔
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思想は自由である

PLって言うと高校野球でも有名なので知らない人はいないんじゃないかな。このPLというのはパーフェクト リバティー教団の頭文字をとったもの。大阪の富田林市に本部がある宗教団代です。

この教団の拠点である富田林市には真っ白な粘土細工のような形をした塔が建っているんです。この付近に住んでいる人なら突出して高い塔(180m)なので知らない人はいないはず。

大平和祈念塔

大平和祈念塔

これが大平和祈念塔といわれるものです。

歴史上のあらゆる戦没者の霊を人種、民族、国家、国境、地域、また宗教、宗派、信条などを問わず慰霊と鎮魂するためパーフェクト リバティー教団が建立し管理運営する慰霊塔と平和への祈念塔を兼ねるもの。

Wikipediaより

ここに先日友人たちと行ってきました。ちなみにここは教団関係者でなくても自由に入ることができます。以前は最上階にある展望台まで上がることができたらしいのですが現在は低層階の神殿までしか行くことができません。

ここの神殿に入って感じたことはただ一つ。

“自由である”

普通の宗教団体だと参拝方法には決まりがありますよね。神社では参道の真ん中は歩かない、手と口を清める、祈るときには自分の名前と住所を言うなど。もっと厳しいところでは信者以外には施設に入ることも禁じられているなどもあります。

その点このPL教は自由。信者でなくてもこの塔に入ることができるし、神殿にも入ることができます。そして自分の好きな方法でお祈りをして良いのです。実際に祭壇の前にはそのような案内が書かれていました。これを見た時にこの宗教は本当に自由なんだなと心が開放的な気分になるのを覚えたんです。

人間何を信じるかは自由。ただ世界の平和を願う気持ちが一緒ならば良いじゃないか。ぼくは勝手にそんな解釈をしてしまったんですがそれで良いと思うわけです。他の人の信じている宗教が違うからって間違っているとか、人間じゃないみたいなことを言う。もっと酷い場合には殺害してしまう。どう考えてもおかしいでしょ。

今でも一部の宗教ではそういうものすごく排他的なものもあるじゃないですか。ぼくはそういうのはすごく嫌いです。多少の違いを認めたらいいんですよ。

芸術に満ちあふれた塔内

人生は芸術である

というこの教団の教え通り塔内1階は芸術作品で満たされていました。学校の児童、生徒の作品が並べられていたり、大人な方の力作が至る所に展示されています。

1階には数多くの作品が展示されている

1階には数多くの作品が展示されている

彫刻も多数

彫刻も多数

神殿に置かれている花も生花ではなく作品。ガラスでできた花が祭壇に置かれていたのも印象的でしたね。

そしてこれも素晴らしい。これはよく見ると折り鶴なんですよ。折り鶴を重ねて国旗を作っているんです。そしてその横の鶴は何だと思いますか?これもさっきと同じ折り鶴です。

折り鶴で作られた国旗

折り鶴で作られた国旗

実はこれは光を当てると陰がPIEACEという文字になるというもの。いやぁ素晴らしいですね。

折り鶴の影で文字が作られている

折り鶴の影で文字が作られている

なんかここに来て感じたのは他の宗教施設にはない斬新さ、自由さというもの。近くに来られることがあれば一度覗いてみてはいかがですか?

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