こんにちは、レイです。
カンボジアといえば真っ先にイメージされるのがポル・ポトや地雷などのネガティブなイメージではないでしょうか。
実際カンボジアを訪れると、そんなネガティブなイメージとはまったく違う活気のある光景を目にして驚くかもしれません。
ぼくもはじめてカンボジアにやって来た時には、そんなイメージと現実のギャップに驚きました。
でも、とても近い過去にはこの国では信じられないような悲劇が起きていたんです。
その悲劇を象徴する場所のひとつが今回紹介する「キリングフィールド」。
実際にこの場所を歩いて、ここで行われていたことを想像しながら命とはなんなんだと考えてみました。
キリングフィールドは毎日数百人が虐殺された場所
この場所はキリングフィールドとして知られたとても有名な場所ですが、カンボジアにはこの場所以外にも約300ヶ所ものキリングフィールドがあります。
ポル・ポトという名前を一度は聞いたことありませんか?
ポル・ポト派のトップに君臨した人物として、カンボジアの悲劇には必ず名前が登場する人物です。
極端な思想を持った人物で、資本主義は悪として都市に住む人たちを農村へ強制移住させ、知識人を片っ端から虐殺するようになったんです。
さらに対象はどんどんと広がり、多くの普通のカンボジア人さえも大量虐殺されてしまいました。
キリングフィールド(Killing Fields)は、その名前の通りこうした多くの人たちが殺された場所。
このキリングフィールドも正式名称は「チュンエク大量虐殺センター」といいます。
カンボジアにある300あまりあるキリングフィールドの中でも最大規模のものです。
この慰霊塔がとても象徴的ですね。
このキリングフィールドはプノンペンから南へ約17キロ離れた村にあります。
多い時で1日300人もの人たちがプノンペンの街中にあるトゥールスレン収容所から送り込まれてきて殺害されたんです。
トゥールスレン虐殺犯罪博物館(トゥールスレン収容所跡)
キリングフィールドに入場する
こちらがキリングフィールド(チュンエク大量虐殺センター)の入口です。
中に入るとすぐ右手にチケットカウンターがあるのでチケットを購入しましょう。
外国人の入場料は6ドル。
チケットを購入すると、一緒にパンフレットももらえます。
この場所は多くの外国語に対応しているので、日本語のパンフレットもありました。
チケットを受け取ったらすぐ隣でオーディオガイドを借りましょう。
こんな機械を貸してくれます。もちろん日本語でキリングフィールドの紹介をしてくれます!
オーディオガイドの使い方を簡単に説明しますね。
園内を歩いくと、こんな番号が書かれた案内板がいたるところに立っているのがわかります。
書かれた番号を機械に入力すると説明の音声が流れるという仕組みです。
大きくわけて19の項目、小項目もいれると30近い音声ガイドを聞けます。
オーディオガイドを借りたら地図を見ましょう。
園内になにがあるのかこれを見ればざっくりと把握できます。
地図の近くには「1」の案内板が。
ここからオーディオガイドの始まりです。
キリングフィールドをしっかりと回ると2時間近くかかるので、水分補給できるように飲み物を買ってからスタートするのをおすすめします。
飲み物などを売ってる売店は、入口入って左へずっと進むと小さな小屋のような建物です。
ペットボトルの水は1本2,000リエル(0.5ドル、約60円)と外で買うより少し割高。
【1】トラック停車場と拘置所
まず最初にやってきた場所には特に何があるというわけでもありません。
ただの空き地のような場所。
ここはトゥールスレン収容所に収容された人たちをのせたトラックが停車する場所だったんです。
ちょうどこのあたりにトラックが止まったんだそう。
夜になってから人々はトゥールスレン収容所からこの場所に送られてきました。
ここに送られてきた人たちは目隠し、後ろ手に縛られた状態だったんだそう。
彼らには、これから何が起きるかなんて知らされていませんでした。
![](https://moori.musyozoku.com/wp-content/themes/cocoon-child-master/images/balloon/1.jpg)
これから新しい住処へ行くんだ
そんな風に告げられてここに連れてこられたんです。
多い日で300人もの人たちが。
彼らはここに到着すると拘置所に入れられました。
薄暗い拘置所は壁が二重になっていて、外の音が聞こえないようになっていたんだそう。
そして、その日のうちに次々と処刑されていったんです。
毎日次々と処刑が実行されていったのですが、誰を処刑したかなどの記録はしっかりと取られていました。
ここにはオフィスもあったんですが、人手不足だったために連れてこられた人が書類にサインをすることもあったんだそう。
このサインは処刑を実行するためのもの。
なんと連れてこられた人は、自分の処刑執行許可にサインをさせられていたんです。
あまりにも恐ろしい事実に、本当に悲しい気持ちになりました。
![](https://moori.musyozoku.com/wp-content/themes/cocoon-child-master/images/balloon/mori.jpg)
レイ
残酷すぎる…
今ではきれいに整備され静かで緑がいっぱいの場所になっていますが、ほんの40年前にはここでこんなにも恐ろしいことが行われていたんです。
ちょうどぼくが生まれた時期と重なるので、どうにも人ごとのようには思えませんでした。
園内にはベンチが置かれてるので、ここに座ってオーディオガイドを聞くといいですよ。
とても深く考えさせられるので、なかなか次へ進めません。
【2】化学薬品保管室
次にやってきたのは化学薬品保管室。
今は建物はなくて更地になっていますが、ここにDDTをはじめとする薬品が保管されていました。
DDTは農薬として広く利用されていたのですが、もちろんここでは虫を殺すために使用されたのではありません。
DDTは人を殺すために使用されたのです。
DDTの用途は2つありました。
- 食べ物に混ぜて殺す
- 遺体の上に振りかけて腐敗臭をまぎらわす
ここに連れて来られた人たちはみんな飢餓状態でした。
あまりにも空腹だと毒が入っている食べ物でも食べてしまうんだそう。
そして力尽きるとそのまま墓穴に突き落とされ、上からDDTが振りかけられて息の根を止められたんです。
薬品の容器でしょうか?一部が保存されていました。
この場所のすぐ近くにはこんな大きなヤシの木が。
実はこれも殺害に使われたんです。
幹の部分をよく見てください。
たくさんのトゲのようなものが見えますよね。
このトゲのようなものはめちゃくちゃ固くて、現地の人はこれを鶏を殺す時に使っています。
もう分かりましたよね。
処刑人はこれを人間の喉を切り裂くのに使ったんです。
貧困を極めていたため、銃や弾薬など高価なものは使えなかったので身近にあるものを利用して処刑に使っていました。
【3】犠牲者が埋められた場所
このロープで囲まれた場所を見てください。
一見普通の芝生のように見えますよね。
よく見るとところどころ凹んでます。
実はこれはたくさんの犠牲者が埋められていた穴の跡なんです。
今はそれほど深い穴ではないですが、当時は5メートル近い穴が掘られていたんだそう。
この穴の中に処刑した人の遺体を次々に放りこんでいったんです。
殺害は機械的に行われました。
次々と人が殺されて穴の中に落とされていったんです。
今はとても静かで緑が美しいですが、この場所の地面をよく見るとところどころに骨や衣服の破片が見つかることもあります。
ぼくがはじめてキリングフィールドを訪れた時には、まだこのように整備されていませんでした。
誰でも穴のすぐ側まで行けましたが、今では犠牲者に敬意を払い近くには立ち入れないようになっています。
整備される前のキリングフィールドはこんな感じでした(2011年)
一部の墓所には屋根があってしっかりと保全されています。
殺害に用いられた道具です。鉈(なた)、斧、竹槍などを使って切りつけて人々を殺害していたんです。
ここからはなんと450体もの犠牲者の遺体が発見されました。
それほど広くない場所から450体とは信じられません…
ところどころに犠牲者の骨が置かれています。
こういう光景を見ると本当に胸が締めつけられますよ…
これは中国人のお墓です。
キリングフィールドがここに作られた理由
キリングフィールドがなぜこの場所に作られたのか?
その理由のひとつは、ここはもともと中国系の人たちの墓地だったからです。
大量虐殺が行われていた当時、ちょっと信じられないですがすぐそばの畑では普通に農民が作物を作っていました。
だから、この場所がなんの変哲のない場所であると印象づけなければならなかったんです。
もともと墓地だった場所を選んだのも、ここがごくありふれた場所だと印象づける狙いがあったんでしょう。
そういう場所なので、敷地内にはところどころに昔からある中国人の墓石があるんです。
【4】待っているのは死・果樹園での強制労働
多くの犠牲者が埋められた穴のすぐ隣には果樹園があります。
ここで行われていたのは強制労働。
政府から食料生産を増やすよう命令されていたので、農民たちは過酷な労働を強いられました。
毎日朝から晩まで12時間休みなく働かされたんです。
食べ物は1日に2回のお粥だけだったそう。
こんな過酷な環境で働かされるのだから、当然多くの人たちが命を落としました。
収穫された食料は自分たちが食べることは許されず、すべてクメール・ルージュの兵士たちの食料に。
先が見えない状況で死ぬまで働かされる。
どれほど苦痛だったか。
【5】湖畔の遊歩道で生存者の証言を聞く
キリングフィールドの奥の方には大きな池があります。
この場所を洪水から守るために大きな穴が掘られて、そこに水が溜まってできたのでしょう。
美しくて静かな水面ですが、この水の底にもたくさんの犠牲者が今も眠っています。
この池のまわりをぐるっと囲むように遊歩道が整備されているので、ベンチに座って生存者の証言を聞くのがおすすめです。
小さな建物もあるので、少し休憩です。
オーディオガイドでは4人の生存者の証言が聞けます。
- 幼児喪失
- 殺害目撃
- レイプと恥辱
- ユック・チャーンの証言
「幼児喪失」は生まれたばかりの幼児を失った母親の証言です。
その幼児、今も生きていればぼくと同い年。
なんという悲しすぎる出来事なんでしょう。
「殺害目撃」はバナナを盗んだと言いがかりをつけられて殴り殺された話。
「レイプと恥辱」は複数の男に恥辱され、世間からも差別された一人の女性が故郷を捨てざるを得なくなった話です。
「ユック・チャーンの証言」はカンボジア文書センター館長・ユック・チャーン氏の生々しい実体験が語られます。
この話は少し長くて5部構成。
そのタイトルだけを紹介しますね。
- 故郷を追われた始まりの日
- 村で従兄が目前で殺害される
- 怒り、疎外、母への夢、希望
- 捕捉、暴行、見知らぬ人の犠牲による救済
- アメリカへの脱出、報復のための帰国、癒し
うまくまとめてあるWEBサイトを見つけたので、リンクを張っておきますね。
https://seseragi-sc.jp/sasage/1208-4.htm
【6】仲間をも虐殺・首のない遺体
資本主義を捨てて、ひたすら原始時代のような生活に戻るような政策を続けてきたポル・ポト政権。
多くの人たちを強制労働させ、知識人や都市に住む人、眼鏡をかけているという理由だけの人など多くの人が殺されていきました。
カンボジアは密告の社会となり、疑いをかけられると捉えられ殺されるという悪夢のような社会に。
こんな政権に嫌気がさして隣国のベトナムに逃げる人たちもいたんです。
もちろん捕まれば処刑されます。
たとえそれがクメール・ルージュの兵士であってもです。
この穴には首のない遺体が埋められていました。
出てきた遺物からはクメール・ルージュの兵士だったことがわかるものも。
裏切り者はこうなるんだ。
そんな見せしめのような殺され方をしたのでしょう。
【7】犠牲者の衣類
これは犠牲者が身にまとっていた衣類や布の切れ端です。
実際に着ていた服もあれば、ハンモックの紐などもあります。
これらの紐は手を縛る時に使われたもの。
【8】赤ん坊と女性を虐殺・キリングツリー
このキリングフィールドで最も心を痛める場所は?と聞かれるとこの場所を選びます。
この木は「キリングツリー」と呼ばれる大きな樹です。
この樹が多くの人たちの殺害に使われました。
この樹で殺されたのは幼児たち。
両足を持って幼児たちを次々とこの樹に打ち付けて殺害したんです。
殺害された幼児たちはすぐ横にある穴の中に放りこまれました。
この樹が発見された時、幹には大量の血痕と脳みその破片がこびりついていたんだそう。
なんで何もわからない赤ん坊まで殺さないといけなかったのか?
クメール・ルージュのこの言葉がそれを表しています。
![](https://moori.musyozoku.com/wp-content/themes/cocoon-child-master/images/balloon/1.jpg)
雑草を取り除くなら根こそぎ
これが幼児と女性が埋められていた穴です。
女性の殺害方法も残酷でした。
殺害される前、すべての衣服を剥ぎ取られたんです。
カンボジアの女性にとってこれは最大の辱め。
殺害される直前にこのような行為をするなど、あまりにも酷すぎて言葉が出ません。
【9】大音量のスピーカーが設置されていた・マジックツリー
この大きな樹は「マジックツリー」と呼ばれています。
この樹には大きなスピーカーが設置されていて、一日中大音量で革命歌が流されていたようです。
大音量で流される革命歌は、昼間に強制労働させられる人たちを鼓舞する役割がありました。
そして夜には、処刑される人たちの断末魔の叫びをかき消すために使われたんです。
【10】犠牲者が眠る慰霊塔
園内をぐるっとまわって慰霊塔に戻ってきました。
この慰霊塔の中には、ここで犠牲になった人たちの遺骨が納められています。
まずは外観を見てみましょう。
この建物は仏教とヒンドゥー教を合わせた形式です。
屋根の四隅には仏教でよく見られる蛇の形をした「ナーガ」が配置されています。
屋根の下を支えるのがヒンドゥー教の神鳥「ガルーダ」。
ナーガとガルーダは敵対関係になるのですが、この2つが一緒に配置されることことから平和を表しているんです。
慰霊塔の中へ入ってみましょう。
靴を脱いで、帽子もとります。
慰霊塔の前には献花台もあるので、献花するなら2,000リエル(0.5ドル。約60円)払ってください。
慰霊塔の中はとても狭くて、中央に遺骨を収めたガラス張りの建物がそびえ立っています。
無数の頭蓋骨と骨が。
骨は人種や殺害方法など科学的に分類されています。
遺骨は慰霊塔の上部まで。
中に入るととてもとても悲しい気持ちになりました。
【11】ミュージアム
オーディオガイドを返却した後は、ミュージアムに行ってみましょう。
中にはクメール・ルージュの歴史などを知れる資料や、ビデオ上映がされていました。
中は写真撮影禁止なので、外観だけ。
キリングフィールドへの行き方
キリングフィールドにはプノンペンの街中からトゥクトゥクで片道6〜7ドルで行けます。
片道1時間もあれば行けますよ。
時間帯によっては渋滞でめちゃくちゃ時間がかかることもあるので、時間には余裕をもって!
ぼくがタクシー配車アプリのGrabを使いました。
心配だった帰りのトゥクトゥクもGrabですぐに見つかって良かったです。
念のためいくつか他のタクシー配車アプリを入れておくといいですね。
キリングフィールドの詳細情報
さいごに
キリングフィールドに行くとかなり思い気分になります。
プノンペンにはこのキリングフィールドと一緒に訪れてほしいもう一つの場所「トゥールスレン虐殺博物館」があるんですが、日を変えた方が良いかも知れません。
ぼくは同じ日に2ヶ所まわったら、体調を崩してしまいました。
それほどちょっと気持ちが落ち込む場所なんです。
でも、命について考えるためにもぜひ訪れてほしい場所ですね。
じっくり見てまわると2時間近くかかります。時間に余裕をもって出かけてくださいね。
有名な場所なのでツアーもありますよ。
キリングフィールドを午前訪れて、午後からは明るい雰囲気の王宮やワット・プノンなどがいいかと。
こちらにプノンペンのおすすめをまとめています。